今が楽しければ、辛い過去にも素敵なフィルターがかかる
朝日新聞社が運営する「かがみよかがみ」というウェブサイトにて、私の書いたエッセイが掲載された。
掲載されたこと、とにかく嬉しい〜〜〜〜〜!!!!!の一言。
ブログやnoteという自分だけで完結する場所以外での執筆をやってみたいという気持ちもあったから、こういう形で掲載してもらえてとても感動している。
プロの編集者の方と簡単ながらやり取りをして、校正をしてもらい、小見出しなんかもつけてもらった。
そうしたら、私の文章がもっともっと素敵になった。ありがたい。
アマギフをもらえるとのことで、とてもささやかではあるけれど、年始に掲げた「文章で報酬をもらう」という目標はクリアした。
いいねぇ!いいペースだね自分!って褒めてあげたいし、既に褒めている。
自分を褒められるトピックがあるのはとても気持ち良いことだ。
掲載された記事への想いが熱いうちに、エピローグというか、サブストーリー的な感じでこの記事を書きたい。
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今回のエピソードの内容は、数年前にnoteでもっとあっさりした感じで書いたことがあった。(今回の作品とは結構ちがう雰囲気だし、現在は削除している)
当時の私の書き方も悪かったのか、全くバズりもせず、ほとんど読まれておらず、大して結果の無い記事だった。
それが私としてはずっと納得いかなかった。
なぜなら私は、このストーリーがものすごく好きだからだ。
「諦めたら試合終了」という綺麗すぎるキャッチコピー。中学生としての私たちの思い出と、初彼氏との交際のあっけなさ。
私の脳内ではとても良い思い出だったし、文章に書き起こすと、切なさもあって余計に美しく感じた。
“あの時書いた文章はダメだったけど、このストーリーは絶対に素敵な作品になるはず。”
そう信じて必死で書いて、掲載の連絡が来た時には「ほら!やっぱり!!やったーー!!」って思った。
文章を書くことで次のステップに行きたかった私にとって、この作品は節目のようなものになった。
「元彼にこんな形でまた救われてしまった」みたいなタイトルのエッセイも書けちゃうじゃん!とか能天気なことを思ったりもした。
こんな風に思えるのは、私が元彼に対しての思い入れが無くて、完全に作品としての扱いが出来ているからだと思う。
今となっては「過去の存在」である彼のことを、ずっと忘れられなくて苦しかったこと。
彼の事が忘れられなくて、その次に付き合った方のことをとても傷つけてしまったこと。
今となってはこんなふうに、作品にして語れても、別れたばかりの当時の私は本当に悲しかった。
こうして綺麗に文章が書けるのは、私がそういう過去の辛さを完全に消化し切ったからだ。
大人になったからとか、時間が経ったからとか、そんなものは関係ない。
どんなに大人になっても忘れられないことや、時間をかけても自分を苦しめてくる思い出やトラウマもたくさんあるから。
そんな中で、私はこの過去を綺麗に消化することが出来たのは、今の恋愛が本当に楽しくて幸せだからだ。
誰にでも辛い過去があって、嫌な経験がある。
でも今がきちんと楽しければ、上書きする必要も無い。
綺麗なフィルターをかけて思い出せる。笑える。私のように作品にも出来ちゃう。
今回のエッセイが書けたのは、過去の辛い恋と今の楽しい恋がどちらもあったから。そう思うと、どちらの恋も愛おしい。
今を楽しくておけば、どんな辛い過去もエッセイに出来る気がする。
そんな風に思えるようにしてくれた、元彼、今彼、かがみよかがみさん。感謝しています。
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