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台湾またいきタイワン、そして千と千尋

さて、わたしは3年前、台湾を旅行した。

親友とふたりで降り立った台湾で我々がレンタルしたWi-Fiは機能せず、

持っていた観光ブックをフル活用して大満喫することになる。

その旅行の詳細と、本一冊、ネット環境を切り離す旅の素晴らしさについては

今日は語りたい事ではない。


訪れたスポットの一つである、九份老街

台湾に行くと決めた目的の一つが、夜のこの街を一目見たい!というものである。

ネットで事前に調べていたように、忠孝復興駅からバスでガタガタガタガタ

いや、運転手さん、荒ない?

1時間ほどだろうか、セブンイレブンを目印に歩く。

お昼過ぎに到着し、某有名なお茶屋さんで茶をしばくなどして夜まで待つ。

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じきに街が優しい灯りに包まれた。

この時の感動は、やはり、観光ブックやネットで見る写真とは違う。

自分の目で見たいから旅行が好き、と人には言うのだが、

実際の理由は言葉にならないところにあると思っている。

何と言うか、心が振れるのだ。

これは自分の中の恋愛の感覚と近いかもしれない。


芋圓のスイーツは素晴らく程よい甘さで癖になる。

タロイモを練った白玉団子で、タピオカなんかが入った

暖かいスープでつるるんっと食べる。ああ、食べたい。

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路地裏には猫がぐうぐう眠っていたし、

くっさーい臭豆腐の匂いもまた一興、といったところで、

街の一体感、日本とは少し違う、優しい祭りのような感じが

光の暖かさによくあっていて好きだった。


ここは千と千尋の神隠しのモデルになった街だとか違うとか、、、

そんな話は有名だ。老街とは、「ラオジエ」と読み、

昔ながらの古い町並みのことをいうらしい。

日本でいう京都や奈良?はたまた浅草のような感じ?


ここで、千と千尋の神隠しについて、感動した話を残したい。

文学好きな友人から受けた講義だ。

「なぜあの物語は、あのようなはじまりでなければいけなかったのか?」

全ての描写に意味がある。

千尋が持っている花束はスイートピーでなければ、

家族を乗せた車が引越しの途中でなければいけなかった。

端に寄せられた祠、木に立てかけられた鳥居、

「家のない」

神様と家族がリンクし、入り口で風が吹いた時に

もうこの物語は始まっている。


人から聞いた話に何となく著作権のようなものが発生する気がして、これ以上書くことをためらったので、こんなもので終わりにするが、

その人の熱量は半端じゃなかった。

人が魂を込めて作った作品は

こんなにも心が震えるものなのか。

だからこそ映画や本にこれから向き合って行きたいと思った。

千と千尋の神隠し、またよろしく。









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