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人間関係の親密さと没頭感

幸福を求めれば戻るほど

副作用として不幸になる

by ダンアリエリ博士


とある実験で、音楽をきいてもらうグループを分けた。楽しむぞ!って意気込んで音楽を聴いた場合より、いつものように自然に聴いてたほうがその行為自体を楽しめたという結果が出ている。

つまり、幸福は追ってはいけない
勝手に付いてくるものであるということ

今やっていることに没頭する.
それから、人間関係において親密さを感じた時にでるプロゲステロンというホルモンがあることがわかっている。

このプロゲステロンは、親しみや親密感を感じないと分泌されない。人間が、安心感に包まれて、温かい気持ちになるあの状態をつくりだしている正体が、このプロゲステロンなのかもしれない。

満たされている人間は、たいてい、現状に親しい間の人間と仲が良く、周囲とうまくいっていて、
一人の時間や好きなことに集中する時間を持っていることが多い。

このふたつは、人生において必要不可欠なのものなのだろう。

幸せを求めれば求めるほど、現実逃避と現実にある不幸が目立つようになる。

幸せには慣れてしまうので、次第にもんもんとしてくる。食べ物もそう、食べる前が一番ときめいている。食べていくうちに、欲が満たされていく代わりに、ときめきは減っていく。恋愛も同じ。相手が自分を好きなのか、そうじゃないのか、付き合えるのか、そうじゃないのか、でも、もう少しで付き合えそう、って時が一番ときめいている。旅行もそう。あそこに行く?ここもみよう、あっちにも行こう、こんなことしようとあれこれ考えている時のときめきやるや。すごく、楽しいよね!

一時期、ハワイのコンドミニアムに住んでいた。

毎週金曜に上がる花火
日焼けしない夜のプール


部屋の窓からは綺麗な夜景が見えて、プールやジムも付いている。海までは徒歩でいけるし、仲良しの友達もできて、英語も自分の成長を感じてきた頃だった。それだけ聞くと順風満帆なのだけど、たしかに数ヶ月も経てばなんとも思わなくなっていた。snsに気まぐれで近状をあげると、たいていは元気?とか楽しそうだね!とか普通のコメントなんだけど一部の人からは嫉妬されて、悪口を言われたりしてやめた。人がいいと思うものは、みせびらかさないほうが吉かもしれない。もちろん見せびらかすためなんかではなく、普通に日記・記録としてアップしてただけなんだけどね、自分が思い出を振りかえりやすいように。ここも問題。インスタなんかはよくキラキラしてると言われがちな媒体だけど、そうかな?普通に日常で、写真を撮りたいなって思える綺麗なものに出会った時に、シャッターを切るわけで。

ある時ね、車を運転してて赤信号で止まると、ちょうど橋の上だったの。夕陽が沈もうとしていた。空が濃いオレンジで。橋の下には菜の花が咲いていた。その光景に吸い寄せられるように、見惚れてしまった。もちろん信号が気にしながらね。すると向こうからおばあさんがあるいてきて、そのおばあさんもふと見ると視界にその風景が入ったんでしょうね、からだの向きを沈みゆく太陽に向け、同じように見惚れていた。私には、おばあさんの心の動きが手にとるようにわかった。彼女はおもむろに、ポケットからスマホを取り出して、写真を撮っていた。私は信号が青になったので、その光景を後に車を走らせた。素敵だ、という気持ちが胸にじんわり広がってたよ。

つまり、それが根本にあるのであって、キラキラを演出するためにそういうのを探す、というのは根本からして違っている。逆なのだ。これは思い出に納めたいなって、気持ちがいつでも先にあること。なので、自慢したり、見せつけようという意図は最初からない。こちらにはね。でも受け取り手の問題として、嫉妬があるだけだ。とはいえ無駄に恨みを買う必要などない。だから、SNSってのは、塩梅が難しい.

まぁそんななかでも日常ではストレスはなかったし、それでも平凡な日常に、とくに感動はしていなかった。だから、自分で興味のあるものを新しいこと始めたり、探して見に行ったり。

それで私は宮殿とかお城とか好きなので検索して、訪れたイオラニ宮殿。

イオラニ宮殿
食卓

ゴージャスで威厳を醸し出しいる。歴史の重みを感じる。この空間は時が止まったまま、なにかを残しているようだ。歴史的な建造物は、訪れるとタイムスリップしたような気分になる。

かつてここで生活していた人がいる。彼らの生活はどんなものだったのだろう、どんな暮らしをし、どんなドラマがあったのだろう。そんなことに思いを巡らせる。

食卓に置かれた、シルバーの食器。皿。棚。
テーブルナプキン。足跡を消す絨毯の厚み。
カーテンの刺繍。統一感のある家具のセンス。

ひとつひとつが、私のなかで渦巻く。
この雰囲気のなかで、私は見たことも会ったこともない人たちの生活を想う。

イオラニ宮殿の周りは芝生の生えた広い道があり、そこを歩いた。

不思議な気持ちだった。周りになにがあるのか、しばらく歩こう、と思ってふらふらしていてら、教会を見つけた。白と黒のシンプル調の、少しゴシックな感じの建物。可愛いな、と思いながら通り過ぎて、売店を見つけた時は、ちいさなクリームの乗ったカップケーキを買って食べながら歩いた。日差しが降り注ぎ、天気がいいけれど、気持ち悪くなる暑さではない。むしろハワイより日本の夏の方が暑い。暑いし湿気でくるしい。

ハワイでは、人が親切にしてくれる。バスでは席を譲られ、クーラーのせいで寒いなと思っていたら見知らぬ人に買ったばかりの上着をプレゼントされたこともある。基本的に優しくて、ハッピーな感じ。

日本では、おっさんにぶつかられたり、おばさんにジロジロ見られたり、嫉妬、悪口、ネチネチ。
そんなことで疲れきって鬱になる。
くだらない

改めて自分がいるべき場所を最初から考え直そうという気になった。

・自分が楽しめるタスクを生活のなかに取り入れること

自分が自然とポジティブになれる環境は、どんなものかな?を考える。
私の場合は、海外の、美しい景色や歴史的建造物、そして、親しい人間との楽しい時。安心、癒しや安らぎ。そんなこと。

人によって、その人がポジティブになれる環境は違うだろう。
自分の居場所は、自分で探していこうと思う.

すべての人に嫌われないようにするのは不自由で可能なことだから他者から嫌われることを恐れないで、自分らしく自由に生きることが自分の幸せにつながる。



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