歳をひとつ重ねて

日付が変わる前、携帯の画面とにらめっこをしている私の姿ほど、純粋で滑稽なものはないのではないだろうか。日付が変わった瞬間に送られてくるメッセージは年々なくなっていく。皆、環境が変わり、社会人になり忙しくなっているのだろう。仕方のないことだと自分に言い聞かせる。
それでも、変わらずに祝ってくれる友人達もいる。電話を繋げていた友人からハピバと言われ、0時を数分過ぎた後に、遅れてごめんと言いながら祝ってくれる友人もいる。

変わっていくもの、変わらないもの。
移り変わるこの世の中で、変わらないものの美しさは、なににも負けないものだと思う。

歳をひとつ重ねる事に、人との関わりの希薄さを思い知らされていき、死にたいなどと思ったりもするのだが、歳を重ねる事に、今でも関わってくれている友人達に感謝し、死にたくなくなるのだ。

僕は、周りに殺されながら
周りに生かされている。

人との共存は難しい。人との関わりは難しい。昔から人付き合いが得意な方ではなかった。
得意ではないくせに、人と話すのは好きで目立ちたがり屋な私は、生きにくくて当然であった。
いつしか周りの顔色ばかり窺うようになっていた。いつの頃からそうなったかはわからない。目立ちたがり屋な面も残っているのに、周りの反応を気にして引いてしまう。どうすれば人と仲良くできるのかと悩み続けた。
そして、人と関わることの積極性がなくなっていったのだ。
こんなめんどくさい人間と関わってくれている友人たちには尊敬しかない。自分だったらこいつめんどくさいなと思ってしまうだろう。だからと言って、関わり合いを辞めるようなことはないだろうが、めんどくさいのには変わりないのだ。

本当に、感謝と尊敬しかない。

誕生日とは、日常の延長線上にある名前の付いた日付でしかない。それでも、この日は自分を振り返るきっかけになるいい日だ。
人の優しさというものを無条件に感じることも出来る素晴らしい日だ。
誰しも一年に一度はある名前の付いた日。
その一日をどれほど楽しめるかが、この人生の幸福度だと思っている人間もSNSの中にはいるが、この日に些細な幸せに気づける人間の方が幸福だろうと私は思う。そんなひねくれた考えを最後に披露し、終わろうと思う。

内容が面白いかは、みんなが評価してください。書き殴っただけの文ですので。
だが、少なくともここまで読んでくれた人には、面白いと思える点があったのだろうと思うので、感謝を。ここまで読んでくれてありがとうございます。

髙木 春楡

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