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沖縄出身者が「日本へようこそ」といわれ、県外出身者が「沖縄へようこそ」といわれた話

先日、90年代が沖縄を語るトークイベントに行ってきた。基地問題、沖縄戦etc…沖縄を色んな分野で活動する同世代が”沖縄”を考える時間は楽しくも感慨深い。

そんなトークのとある話。沖縄出身者のスピーカーが県外の大学に進学後、ある先輩に「日本へようこそ!」と言われ、どこか違和感のようなものを感じた…という経験を語っていた。

個人的にはその話を聞いた時、「日本へようこそ!」という言葉自体に確かにあまりポジティブな印象はなかったし、なんだかモヤモヤした。


しかし、なんとなく、その言葉に親近感があるなぁと…ふと思い出したことがある。

県外出身者の自分も沖縄で「沖縄へようこそ!」と言われたことがある

琉球舞踊 プラザハウスショッピングセンター

しかし、僕はモヤモヤどころかなんか。うれしかった。

大学院時代、非日常的な空間で演じられることの多い古典芸能をもっと身近に囲もう!をコンセプトに人の行きかうショッピングモール(プラザハウスショッピングセンター)で、毎月1回、琉球芸能の演奏演舞をしていました。

距離感の近い公演は劇場とは違うあたたかみを感じる場所だった。

そんなある日の公演終了後、帰りがけにあったおばあに「沖縄へようこそ!」と言われた。

その時のぼくは「ようこそ!」言葉に、「沖縄で文化をはぐくんできた人たちにも、受け入れてもらえたかな」と、うれしかった。

よそ者である自分が沖縄にきて文化に触れているという現状に心のどこかでコンプレックスを感じていたし(今でさえ)、「血がないからね」と言われたこともあったからこそ、あの時のあの言葉を何度も思い返して嬉しくなる時さえある。

もちろん環境や関係値、脈略とか…いろんな条件の積み重なりで言葉のニュアンスもうけとり方でさえ変わってくるものの…ほぼ初対面のような点では似てもいる…。

けれども「日本へようこそ!」の話を聞くと自分が"うれしい"と感じる感覚大前提に自分が沖縄出身者ではないという確かな自覚と区別があることになるなぁ…と気づいた。

結局のところ意図せずに…自分が一番沖縄出身者じゃないということを気にしているんだなぁと実感している。

登壇者が「日本へようこそ」といわれたように、「沖縄へようこそ」といわれることもある。結局のところどこにいても人は人。場所も関係ない。


けれどもそんな自分には声をかけてくれる人がいて、沖縄の文化を伝統を教えてくれる人がいる。

国立劇場おきなわ 琉球舞踊
同世代と国立劇場おきなわのYouTube配信に取り組む

だからこそ、いつまででも伝統に対して、文化に対しての向き合い方は常にフラットだし謙虚にいられる。

文字にするのは難しいけれどもどこか「借りているもの」のような気持ちもあったりする。

でも結局のところ、伝統芸能って常に"借りもの"

人間国宝の宮城幸子先生もよくいってた。「私はただ先達から教わったことをあなたに教えている、共有しているだけなのよ」と。

長い時間のなかで、たくさんの人がつないできた"伝統"という名のバトン今の時代に自分たちがつないでるだけであって誰か一個人の所有物でもない人類の共有財産なんだろうと…。

リュウカツチュウ 髙井賢太郎
YouTubeリュウカツチュウもどうぞよろしくです




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