見出し画像

245:宗教 正統カリフ

日曜は宗教です😃

スンナ派の伝承によると
ムハンマド死後イスラム教を指導した4人を
正統カリフといい
彼らはムハンマドの教えを正統に守った

カリフ・・・イスラム国家の指導者・最高権威者

初代カリフ アブー・バクル

シーア派からは反対されていたが
ムハンマドが死んですぐにカリフ即位した

アブー・バクルはムハンマドの親友にして妻の父親であり

ムハンマド不在のときは礼拝の先導役を務めた

在位は2年間(632年~634年)と短かったが

シーア派のアリーとその支持者たちと衝突したという点で

その後の歴史に重大な影響を及ぼした

死ぬ直前(毒殺されたと言われている)アブー・バクルは

後継者にウマル・イブン・アル=ハッターブを指名し

ウマルは634年に第2代カリフとなり644年まで在位した

第2代カリフ ウマル・イブン・アル=ハッターブ

ウマルが選ばれるとシーア派は

真のカリフはアリーだとまた主張した始めたが

スンナ派はウマルを偉大な指導者として尊敬している

ウマルが称賛されているのは

世襲の王朝を建てることを拒み

息子を後継者にするのを認めなかったからだ

代わりにアリー含む6人を指名し

この6人に自分たちの中から互選でカリフを決めよと言った

ウマルが暗殺されたあと

後継候補者たちはウスマーン・イブン・アッファーンを選んだ

第3代カリフ ウスマーン・イブン・アッファーン

在位は644年から656年と続いた

ウスマーンの業績で有名なことは

クルアーンを統一したことだ

さらにイスラム帝国の領域を拡大させ

その広い領土を支配するため一族の者を登用し始めた

この一族登用策は

北アフリカを中心にイスラム帝国全土で不満を招いた

やがて兵士たちがイスラム教徒の怒れる群衆を率いて

カリフの自宅を襲撃しウスマーンを殺害した


第4代カリフ アリー(シーア派)

ウスマーン死後ようやくアリーはカリフとなった

しかしその頃のイスラム世界は混乱状態にあり

その在位を反対するスンナ派を避けるために

首都を現在のイラクに移した

アリーは661年まで在位したが

やはり反対派によって暗殺された

おわりに

アリーの死で正統カリフ時代は終わった

その跡を継いだムアーウィヤ一世は世襲王朝を開いた

正統カリフ4代のうち3人が暗殺だったことから

後継者をムハンマドが指名していなかった為

イスラム国家は混迷を極めたことが伺えました

今日はここまで!

最後までお読み頂きありがとうございます🎵

今日もこちらから学びました


スキ頂けるとうれしいです♥️




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?