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253:歴史 ネイティブ・アメリカン

月曜日は歴史です🎵

ネイティブ・アメリカン

ネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民)であるネズパース族は

数千年前から現アメリカの太平洋岸北西部で暮らしており

この地域に19世紀から入植してきた白人たちと

当初は友好関係を築いていた

アメリカ政府との戦い

1855年の条約でワシントン準州とオレゴン準州に

ネズパース族居留地が設けられたが

1863年、アメリカ政府はネズパース族の土地に

白人をもっと入植させるスペースを確保するため

居留地の面積を大幅に減らす新条約を押し付けようとした

この背信行為に激怒したネズパース族は1877年武装蜂起した

アメリカ陸軍はこの反乱を鎮圧するため

南北戦争中に南部で破壊の限りを尽くして悪名高い

ウィリアム・ティカムセ・シャーマン将軍を派遣した

数か月の戦闘で追いつめられた

ネズパース族のジョゼフ首長は戦士たちを集め

「聞け、わが首長たちよ!私は疲れた。心は憂い、悲しみに暮れている。太陽が今いるこの時点から、私はこれ以上もう戦わぬ」

感動的な降伏の言葉を告げた

この言葉は印刷されて広く読まれた

ネズパース族だけでなくアメリカ西部に存在して滅んだ

全文明への追悼の言葉と見なされた

武装蜂起の鎮圧とその後

アパッチ族の偉大な戦士ジェロニモは南西部で

白人に抵抗した最後の首長のひとりだった

彼は敗れたが世界的に有名になり

1905年ルーズベルト大統領の就任パレードに登場した

その後19世紀末までに組織的な抵抗はすべて鎮圧された

1890年サウスダコタ州ウーンデッド・ニーで起こった

スー族大虐殺はアメリカ連邦軍とネイティブ・アメリカンとの

最後の武力衝突だった

居留地に追いやられたネイティブ・アメリカンは

現在でもアメリカ国民の最貧困層に属しており

スー族大虐殺があったパイン・リッチ居留地は

アメリカで最も貧しい地域である

アメリカ政府は進歩の名のもとに

ネイティブ・アメリカンを彼らの地から追い立てたが

今なお彼らは破壊から立ち直られずにいる

おわりに

ネイティブ・アメリカン(インディアン)について

そんな歴史があって現在についてもほとんど知らなかった

アメリカの進歩のためには必要なことだったのかも知れないが

1万5000年以上もその地で暮らす彼らを追いやり

あとから来た民族が占拠しているとは悲しい現実

共存しているのであればいいのだが

アメリカにとって大きな課題のひとつだと思いました

現実はそんなにかんたんなものではないでしょうが。。。。

今日はここまで!

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