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残夏の命の授業

今まで生きてきた中で、不思議と覚えている取り留めのないシーンはあるだろうか。

夏祭りや修学旅行、卒業式などのような印象的で心が揺さぶられたであろう明確なイベントではなく、なんとなく、ふとした時に思い出される断片的なシーンのことである。

今日もきっかけもなく、今の僕の生活にはまるで関係のないシーンを思い出したので話がしたい。

僕は幼い頃、虫が大好きだった。中でもクワガタが大好きで、夏になると弟と2人で気温が30℃を超える日中から日が落ちるまで、時間を忘れてクワガタを捜索していた。

僕たちの虫取りは、自分たちが責任を持って世話ができないのであれば生き物は飼ってはいけません、という家のルールがあったためキャッチアンドリリースであった。

まだ、蝉の声で目が覚めるような、残夏のある日、僕と弟は大きなクワガタを4匹捕まえた。そのクワガタは、大きくて色艶が良く、ゴツゴツしていて、僕たちの目にはとても魅力的に写った。その後、僕たちは話し合いをして、父親を説得することに決め、父の帰りを待った。

父が仕事から帰って来るや否や、玄関にお出迎えをし、父の鞄を回収して、間髪を入れずに僕は

「おかえりなさい、少し相談があります」

と、言った。父は僕の後ろでモジモジしながら同調する様子の弟の表情をチラリと見て、何かを察したような顔をして

「どうかしたか、また何か壊したんだろ」

と察しの悪いことを言ってきた。

察しの悪い父に、僕と弟は虫かごに入ったクワガタを見せながら、自分たちで責任を持って世話をするから飼いたいと父に伝えた。すると父は、腕時計で時間を確認して

「まだ、ホームセンター開いてるよな、色々買いに行くぞ」

と、僕たちの説得に応じてくれた。

その日は、本当に楽しかった。クワガタのためにお金のことを気にせずに、大きな虫かごやエサ、虫用の木製アスレチックなどを、弟と手当たり次第に買い物かごに放り込み、

「それは本当に必要なの?」

「そんな大きいのじゃなくていいでしょ」

と、ブツブツ言っている父に対して、購入を強要した。家に着くなり、虫かごの中で虫にとって最高の環境を作り、クワガタを入れて、数時間観察を続けた。

このわがままは、自分たちで責任を持って世話をするという契約に基づいたものであったため、子どもなりにエサがなくなれば交換する程度の世話は欠かさずに行なった。

しかし、クワガタは1週間もすると、生きてはいるが活発に動くことはなくなり、ぐったりとしてしまった。

その日の夜、我が家では父による命の授業が開講され、概ね命の大切さについての内容を1時間程度話した。その最後に、クワガタをどうするか僕と弟で話し合って決めろという課題が出された。

僕たちは、クワガタにとって自然界での自由な生活が幸せかつ、生きやすい環境であるため逃した方がいいという結論に至った。

そのことを父に伝えると、

「そうか、じゃあ逃してきなさい」

と、僕たちに言った。

僕は恐らく人生で初めて、切なさで喉の奥の方が詰まるような感覚を覚えた。

そして、僕たちは自らの手で、家の植栽付近に

元気で生きろよ

という気持ちで、クワガタを逃した。

次の日、父と僕は同じタイミングで家を出た。するとそこには、クワガタの角や足などが散乱していた。恐らくカラスが食べて、食べられない硬い部位が食べ残されていたのであろう。

その時の、口を紡いで鼻から長い息を吐いている父の表情とクワガタの残骸が、僕のふとした時に思い出される取り留めのないシーンである。

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