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「ゲーマー」と「ゲーム視聴者」の隔たり。PS5の「拍手」機能廃止とゲーマー的「いいね」観について

PS5に実装されていた「拍手」機能が、今年の秋頃に廃止されることが決まったそうです。

PS5でのオンラインマルチプレイ用機能「拍手を送る機能」が2022年秋に廃止 想定していた使用率に達していないため (ign.com)

拍手機能は、いわゆるSNSの「いいね」システムのような機能で、フレンド以外のプレイヤーに好意を伝えたい時に使うことを想定していたものなのだとか。

前代未聞のソーシャル時代に突入していながら、プレイヤーの交流活性化のために提供される機能がなぜ使ってもらえないのかを考えるとき、頭をよぎるのが

「そもそも中途半端なソーシャル機能はゲーマーに求められていないのでは?」という問題です。

というより、今ヒットしているゲームのプレイテンポがあまりにスピーディすぎて、知らない人に「いいね」や「拍手」なぞを送っている暇がプレイヤーにないんじゃないか、という話です。

現在、絶賛流行中のバトロワゲームなんかはわかりやすい事例です。1プレイのうちに50人も100人も肩を並べてプレイするわけで、誰がどのプレイヤーだったかなんて、もはや誰も覚えていられません。フレンドと一緒でないのなら、なおさら他のプレイヤーの名前なんて覚えているはずもないのです。なんなら、プレイヤーの名前すらまともに表示されないゲームが大半を占めてるんじゃないでしょうか。

僕もこないだFall Guysを遊んでいたんですが、ゲームオーバー→再プレイのサイクルが尋常でない速度で行わていることに、自分のことながら笑ってしまいました。『オール・ユー・ニード・イズ・キル』的な世界観というか、ゲームプレイが高度に刹那的な体験の連続となるように作られているので、ゆっくりとプレイングを噛み締めたり、他のプレイヤーを褒め称えたりする余裕はありません。

PS5の拍手機能が全く使われていないのは、そんな近年のゲームプレイのスピード感と乖離した、牧歌的すぎる要素だったことに問題があったのではないのでしょうか。

個人的に、「いいね」や拍手機能のターゲットはゲームプレイヤーではなく、ゲームプレイの視聴者にあるものだと思っています。いわゆるストリーマーやゲーム実況者の視聴者層です。

ゲームをプレイする人と、ゲームをプレイする人を観る人の間には、ある種絶対的な隔たりがあって、彼らが求めているものは全く別物です。

ゲーマーもゲーム視聴者も、同じゲームを楽しむユーザーであることに違いはありませんが、彼らには楽しみ方という点で大きな方向性の違いがあることに、ゲームを提供する側は気づく必要があるでしょう。

この点について話し出すと長くなるので、別の機会に書ければと思います。

話が長くなりましたが、今回得られた気づきをまとめると、

・ゲームハードがプラットフォームとして成功するためには、単にトレンディな機能を場当たり的に実装してはいけない

・ハード開発者は「今」売れているソフトへの解像度を高め、その傾向を踏まえた機能の開発と実装が求められている

というところかなと考えています。


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