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彼に貸したお金が「高い勉強代」になるまでの話㉒(last)「借主に感謝」


彼に対する気持ちの整理をし、心が少しずつ軽くなっていく。

彼から返済があることは、嬉しい。
遅れたとしても、誠実な対応をしてくれることは喜ばしいことだった。

だが、返済がされたとしても、実際の私の心の中では、「毎月の返済額を増やせるのではないか。」「相手の本心や現状を知れるのではないか」と、更に相手に期待し、求めてしまう自分の欲とも葛藤していた。

私は、自分の欲で理性を失った関わり方をすることが嫌だった。
自分の幼少期から抱える問題や感情に気付くことができた。そして、感情の伝え方も学んだ。
彼の言葉がきっかけとなり、ダブルワークを始め、大打撃もあったが、そこでたくさんの人たちに恵まれた。
見る目を養う機会、女性としての魅力を磨ける場に身を置けることができている。

H氏とも出会う事ができたし、そこで、自己探求を深めることができた。
今もこうして、書き記すことで、負の面とも向き合い、精神的にも強くなれたと感じる。

そして、「価値観の違い」「互いの生き方を尊重する」という意味が私の中に落ちた。

「常識的に~〇〇だ。」
実は私が「常識的に」という言葉が好みではない。(大切じゃないというわけではない。)
「常識的に」から始まる考え方は、どちらかというと苦手なのだ。

彼がしたことは常識に反していることだが、私もなかなか奇想天外なことをしてきた。ある意味、似た物同士だ。

この、お金の貸し借りにまで発展した恋愛の落としどころを、彼に求めるのはもうやめよう。

私はこの2年間の出来事を後悔はしていない。
寧ろ、彼は私を鍛える師匠だったと思い、感謝している。

彼が裏社会の人間であることが本当であるのであれば、彼からお金が返ってくること自体、奇跡だ。
ましてや、心は傷ついたとしても、命はきちんとある。
少なからず、彼に守られていた部分もあったのではないかと思う。

そして、私から彼に連絡を入れる。

7月に家賃更新ができたこと
返済が続いたこと、遅延の連絡があることへの感謝

相手は、私が急にまた優しくなったことへの驚きを示す。
疑っているのだと感じた。
むしろ、彼が失恋したというのは本当なのではないかと過ってしまうほど、身構えられていると感じる。

私は、その態度には触れず、自分が伝えたいことだけを送った。

少しは気持ちが軽くなったのも束の間、頭がぐわんぐわんする。
身体が重い。
この謎の現象に苦しみ、H氏に心状を吐露する。

切っても切れない縁、というのがあるのだろうなーなどと、ぼんやり考えた。
思考や気持ちの整理だけではどうにもならないほど、情が絡んでしまっていたのは事実だ。
私は、「縁切り神社」に行くことを決意する。

私が通っている美容室の担当美容師に、彼とのことを少し話したことがある。
その人が「うぇ~もう縁切り神社行きましょ」とさらりと言っていた。
H氏も参拝したことがあるという。
経験談を聞いたり、ネット上で見る中で、相手にも不幸があるような口コミが多数だった。

私は、相手に不幸になってほしいわけではなかった。
彼に対して感謝の気持ちがある状態で、この、ぐちゃぐちゃと絡み合った私自身の情念、執着心のようなものをどうにかしたかった。
病は気からというが、気が大変なことになっていると自覚していた。
もう、気休めでもいいから、行ってみよう。

H氏に「縁切り神社に行く」と宣言をする。

すぐに返事がきた。

「おお!腹括ったかー!!」

私は比較的近所に、こじんまりとした縁切り神社があることを知っていた。そこに行こうとしたのだが、H氏は鴻巣の鴻神社に行くぞと車を出してくれた。その日だ。H氏が神だと思った。

私はなんとなく、これまでアナログに書き記していた日記帳を持参した。
H氏の車に乗り、その日記を読み返しながら、心を整える。
H氏も縁切り神社の経験談を話してくれた。
「相手に対して、恨みや怒りの感情がある状態で行くのは違う。」と言っていた。
私は自然と、感謝のマインドを持てたからこそ、縁切り神社に行きたいと考えていたので、これで正解だったのだとほっとする。

夕方18時頃、鴻神社に着く。
あまり人はいなかったが、外はまだ明るく、不穏な感じは一切しなかった。(勝手にどんよりした場所というイメージを持っていた。)

H氏は個人的に、お参りしたいと言い、私はその参拝姿を手本とする。

私は少し緊張していた。心の中で唱えるのは理解していたが、噛んでしまったらどうしようという不安があり、事前に日記帳に何をどのように唱えるかを書き記しておいたのだ。

なるべく、他の参拝者の絵馬等見ないように集中する。

(〇〇くん(彼の名前)に対する異性としての情と、不毛な異性関係のトラブルと縁が切れますように)
2回目で噛んでしまった。3回唱えた。

そうして、神社を出る。

近所のコンビニに立ち寄り、2人でタバコを吸う。
H氏は久々の喫煙に「キマるわ~」などと危ない発言をしていたが、いいねーと言っていたので、いいのだ。

帰りの車内で、H氏は「本を書いてみたら?」と私に提案した。
ウェー!文才ないのに!と思ったが、日記を書いていたことや、これまでの経験を書くことで、誰かしらの励みになると言う。
少々、照れくさくもあったが、もともと創作活動は好きな方だ。
リア友が見れるようなSNSアカウントは完全休止中だが、日々の出来事や気持ちをぽろっと発信したい思いはあった。

私は、やってみようかな…という気になる。

帰宅後、鏡を見ると自分の顔色がワントーン明るくなっていることに驚いた。いいや、化粧ではない。化粧だったら逆にトーンダウンするはずだ。

またしても少し心が軽くなった状態で、布団に入る。
それにしても、彼が怪我をしたり、そういうのは嫌だなと思いながら寝た。

特に、そこから彼との間で大きな変化というものはなかったが、私の中での大きな変化といえば、このnoteで掲載を始めた事、そしてInstagramで町中華手記を投稿し始めたことだ。
PCを開くと、キーボードを打つ手がとまらない。
どんどん、言葉や感情がでてくるのだ。
そして、町中華手記に関しても、久しぶりに色鉛筆で絵を描いた。

それらのことが、また自分の趣味として、楽しみになっている。
縁切り神社での効果といったら、ぐちゃぐちゃした自分とおさらばできたのかもしれないと思った。

そこから、野菜中心に料理を作る機会も増え、食生活も見直した。
今ある人間関係を、私も(彼も)大切にしたいと思い、職場での関りも丁寧に対応していこうと意識を持ち直すことができた。

1か月ぶりの夜出勤では、面白いお客さまと出会えた。
今までは、話し出すのに躊躇ってしまうことが多かったが、自然と言葉がでてくる。
先輩お姉さんも「みこちゃん、うちの店でストレス発散しちゃっていいからね!飲みたいと思ったときにいつでもおいで!」と昼職の多忙さも考慮していただきながらも、あたたかく声をかけてくださった。

そして、お酒のペースも掴んでいった。
久しぶりの飲酒、どうなることやらと思ったが、焦りすぎず、ゆっくりたくさん飲むことを意識したところ、悪酔いはしなかった。

私は、些細な事でも、前に進めていると、自信を取り戻すことができた。

今は彼の気持ちを気にして、タロットを引いたり、他者の言葉に必要以上に振り回されることはなくなった。
自分の直感を信じ、心に正直であること。
頭と心が一致した言動や行動をとるようにしていった。
30歳になっても、素直さが大事だと気付く。

私はもう自然と、彼に貸したお金は「高い勉強代」だったと心から思う事ができていた。
この2年という期間を経て、頭と心がようやく、一致したのである。

彼にはもう返済は8月末で最後でいいと伝えた。
彼の誕生日は9月だ。残りは誕生日プレゼントにしますと言った。

彼は「ありがとうございます。」とだけ言う。

ここで、今までの私であれば、「普通、いや、返すよ!俺が借りたんだから!とか誠意はないのかーッ!」と、理不尽な怒りを抱いていたはずだが、そんな感情にはならなかった。
自然と笑ってしまった。
そういう楽な方に流れてしまうところが、ありのままの今の彼だし、また、そういった部分をきちんと見つめなかった自分もいる。彼を好きだった時期があるのも本当だ。彼もきっと、疲れただろう。

頭でああだこうだと、理屈を並べ、駆け引き染みたことをするのではなく、自分が心穏やかになれる素直な関わり方をしたいと思った。

そして、この記事を書いている2024年8月31日(土)この日が最後の返済日だ。

案の定というか、夕方になっても連絡はない。
そのことで、イラついたり、連絡を送るべきか、なんてアドバイスを求めることはしなかった。

「お疲れさまです🐙
お天気わるくていやね。
今日、お約束の日なので、
お手すきの際にお願いします🙏」

言いたいことをそのまま、好きな表現で伝えた。

彼には、最後はできる限り多いと嬉しいなんて言っていたが、
先ほど、少しだけ多く振り込んでくれた。
今の限界の額だそうだ。

でも、もう憶測はしない。
かといって、過度に落ち込むことも、相手を気持ちよくさせようとご機嫌伺いのようなこともしない。

お互いよく頑張ったなと、本当にお疲れさまでしたの気持ちだ。
感謝を伝え、これまでいくら返してきたかを彼に示した。

おそらく、彼はどうでもいいと思っている可能性は高い。
「ごめんね」マシーンのような反応だからだ。
でも、それでいい。私は素直な態度で彼に示していく。

そして、これ以上は自分が傷ついてしまうなと感じた場面で、ストップすればいい話だ。
そして、ここは感情的になりそうとなれば、おふざけを交えながらも言葉できちんと伝える。
彼とのメッセージのやりとりで、私は自分自身が成長したことを、認識した。

私の場合、彼に情が湧いたことにより、3度もお金を貸した。
お金の貸し借りと恋愛感情が絡んだ結果、好きだった気持ちも忘れ、一般的な常識に当てはめて相手を非難し、また非難されることもあった。何が正しいのかわからず苦しんだ。
だが、2人とも、審判員ではない。
お金を貸したのに誠実な対応をしてくれない相手は追い込まれても当然だ。
お金を借りたけど、自分だって頑張っているのだから、無視してもいい。
など、互いの常識を主張し合ったって、2人だけの世界じゃ、堂々巡りなだけだった。

私は経験したからこそいえる。

相手は変わらない。だが、相手に対し怒りや不満がわいてくるということは、少なからず、期待しているということだ。
どこかで、信用したいと思えるきっかけやエピソードが、人それぞれあると思う。
私は自分が納得するまで、向き合うことはやめられなかった。

お金を貸したことでの優越感と、お金を借りたことへの劣等感。
返済されない不安、不信感。訴えられるのではないかという不安、猜疑心。
経済的に困窮すると、精神的にも余裕がなくなり視野が狭くなる。

私の場合、返済されたとしても、満足せず、新たな欲が出てきたときは最も恐ろしかったかもしれない。
どんなに好きだった相手でも、一瞬で鬼になれるのだと感じた。
お金の貸し借りは、相手を助けたい、支えたいと思う純粋な心が、相手の対応によって、潰してやるという気持ちにコロッと変わってしまう恐れがある。善と悪は紙一重だ。
私の場合は、お金の貸し借り以前に、幼少期からの経験も関係していると気付けたことが大きな収穫の1つだった。
ここまで、自分の欲望、怒り、悲しみといった感情に向き合ったことはない。

私はこれまでの気づきをH氏にも、お金を借りた母親にも話した。

「じゅうぶん「高い勉強代」になったでしょ~!」

と、2人とも言っていた。私も同感だ。

―おわりー

読んでいただきありがとうございました。
まずはとことん自由にリアルな感情と出来事を書いてみました。
こんなに長いのにまだまだ書ききれていない話や考えがあるのです。
今後はマイペースに、単発記事を書いていきたいと思います。

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