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彼に貸したお金が「高い勉強代」になるまでの話⑤「タクシー代のおつり」

私は、彼が本当にいなくなってしまうのではないかとう恐怖感がその後も続いていた。
また同じことが起こるのでないかという、不安感から、1回目の音信不通の出来事をきっかけに、私は自分の趣味の本などの私物を売りに出し、彼への資金に変えていた。

「あと〇〇円あればね。。」

彼は、今必要な金額を明確に提示する。

「〇円ならいいけど、あとは自分でまかなえる?」
「ううん。。大丈夫」

私は少額だが、私物を売って手に入れた金額を彼に渡そうとしたが、提示した額が気に入らなかったのか、この、なんともすっきりしない表現に、私は何度も嫌悪感を抱いたものだ。
はっきり、どうしてほしいのかを伝えてほしいと伝えたこともあるが、「大丈夫」「ううん」と、返される。
(私は後々、Hさんという恩人に出会う。
 その時、Hさんが彼を表したこの言葉に
 私は納得してしまった。
『多ければ嬉しい。少なければ悲しい。』)

彼がそのような話をするのはただ言いたいだけなのか。私をコントロールしようとしているのか。
当時の私は正解を求めすぎていて、思考がとまらなかった。

そして彼はこの言葉を使う。

「助けてなんていえない」

構ってほしい、察してほしいこどものようだ。

私は、「助ける=お金を貸す」という意味合いとして解釈していた。
「お金は貸せない=あなたを助けない」という解釈にもなる。断ったらまるで自分が悪者のようだ。
私が誇大解釈をしているのか、彼の印象操作ともいえるこの言葉にますます私は怒りが蓄積されていく。

怒り、不安、恋愛感情、母性、全ての感情の整理がつかないまま、冷静に情報を聞き出せるように、お金の用途についてたずねる。

・建設業証明書の取得のために、口座証明(500万円入っているか)の提出が必要。
・残り〇〇円で口座証明の取得ができる。
・口座証明を取得後(大体3か月後)は、口座から引き出し可能であるため借りた分の返済ができる。

このような説明を鵜呑みにして、私はとうとう彼にお金を貸すことを決断してしまう。
3か月後に返ってくるのであれば、貸すではなく、預けるだけだ。
そんな都合の良い、甘い解釈をしていた。

私は、貯金額のほぼ全てを彼に預けてしまった。

(まるでギャンブルのようだ)
ギャンブル反対の家庭で育ったため、家族への罪悪感が募る。

だがしかし、口座証明を取得後(3か月後)にはお金が戻ってくると、彼はそれを守ってくれると信じていたのだ。
信じることを頭で意識し、心の不安を消そうとする。
頭と心が一致していない。決断したのにも関わらず迷いは払拭できていない。覚悟が決まっていなかったのだ。

そのことが彼にも伝わったのか、「不安ならやめてもいいよ?」と言われた。
癪に障る言い方にとても腹が立った。
ずっと金銭問題の話をされ続けていたのだ。そして命を引き合いにも出された。
私は少し感情的になってしまった。引くに引けないのはこっちの方だ。
つべこべ言わず取りに来るよう彼に伝えた。

久しぶりに彼が私の家を訪れた。
もともと小柄な人だが、少し瘦せていた。昼夜働いており、疲れているようだった。
私の中で彼の状況が事実かどうかの疑いは晴れなかったが、彼が心身ともに健康でないのは確かだった。

封筒に入ったお金を彼に手渡す。
ついでに、タクシー代のおつりとして取っておいた2,000円も渡した。これは彼のお金だ。
取っておいてくれての意味なのか、彼は小さく「よかった…」と呟いた。
彼が本心から放った言葉であろうと率直に感じた。

彼はそのままお金を受け取り、口座に入れた後、本家の父親のもとへ話し合いに行くと言った。
胃がずっと痛いと言う。

「この封筒に、みこちゃんの絵描いて返すね。」

別れ際、そんなおふざけを言っていたが、やめてくれと私は言った。
その時の私は泣いていた。なんで泣いたか、はっきりとした理由はなかったと思う。
彼を想っての涙か、家族に対する罪悪感なのか、不安な気持ちでいっぱいだったのか。

その代わり、私は彼のお気に入りの写真があり、その写真を送ってほしいと言った。
「あとで送るね。」と言い、新幹線の時間があるため、彼は私の家を2時間ほどで出ていった。
彼と会ったのはこの日が最後である。

私は彼を送り出した後、どっと疲労感が襲い、そのまま眠ってしまった。
不思議とこれまでも、彼と別れた後は必ず疲労感が襲ってきて、爆睡するというパターンが多かった。

中途半端な時間に起きたあと、彼から乗車新幹線の乗り換え案内図のスクショが送られてきていた。
彼は私に感謝の気持ちと謝罪を述べていたが、お願いした写真は届いていなかった。
メッセージの雰囲気から、少し、元気になれたと感じ、お願いした写真がない!と、駄々をこねてみたが、送られてくることはなかった。

そして、彼から、本家の父親と交渉が決裂したと伝えられる。
彼の、父親に対する不満や愚痴が送られてくる。
私の行動はなんだったのか、と思えるほど、彼は自分の怒りの感情をストレートに私を通して父親にぶつけていた。

もともと情緒が不安定なところが、彼にもあったのか、状況や環境がそうさせているのか、私は明確にはわからなかった。

ここから、今現在(2024年8月)に至るまで、LINE上でのメッセージが彼との唯一のコミュニケーション手段となってしまう。

当時書いていた日記を読み返すと、彼と最後に会ってから2か月後、今度は私から別れを切り出している。
彼は本家の父親のもとにずっといるようだった。
彼はわかったとすんなり受け入れたようだが、お金は必ず返すと言ってきたのを覚えている。
つながりを完全に断ち切れないことが苦しかった。

口座証明用に使えたのか、今彼は何をしているかなど、事実確認が困難な日は続く。
彼は、成功していたら話すし、話したくないことは話さない人だ。
私は、『お金が絡んでいるので、』話したくない事こそ、話してほしかった。

これまで鮮明に彼とのやりとりを記録してきたが、お金を貸した後はお互い堂々巡りを繰り返し、喧嘩することが増える。

そして、口座証明書用のお金が返ってくることもなかった。

私もセコイ人間だ。貸したお金の心配が付き纏う。
彼を心配する気持ちもあったが、彼のことを一番大切に思うなんて、綺麗な心を維持できるほど、精神は発達していなかった。

1か月に1度ペースで私から彼にそれとなく連絡を送るものの、私の言葉が彼のストレスになっているのはメッセージから見てとれた。彼は探られるのを嫌がった。
そんなつもりで送ったわけではなくとも、彼にとってもお金を借りたことが、とても重圧になっている、とその時は思い込んでいた。

そして再び12月に「いなくなりたい」と言い出し、2度目の音信不通になる。
私は、彼には告げずに、彼から送られてきた新幹線の乗り換え案内図をたよりに、本当にいるかもわからない、本家の場所に行くことになる。

⑥に続きます。

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