見出し画像

決して他人事と思うなかれ、あなたは大丈夫?「能登半島地震」に学ぶ地域の未来!

令和6年1月1日午後4時10分。

あれからまるまる5ヶ月。

つい昨日のことのように思えるが
被災地では瓦礫の下から草が生え
鉄は錆び、土壁は崩れ落ち
港では船が転覆したままフナムシの住み家になっている。

テレビやメディアでは一度たりとも報道されないまま時が止まった場所も無数に存在し、やがて関係者や当事者にさえ諦められ、捨てられ、忘れ去られはじめている。

能登はどこに向かうのだろう

能登は観光も伝統工芸も食文化も、今まで心のより所としてきた旧来の様々な資源と老朽インフラと経済成長の狭間で絶妙にバランスを保たれて命を引き延ばされてきた。
あえて能登全体を擬人化するならば
『チューブやペースメーカーに繋がれた寝たきり(こてこての福祉毒まみれの)介護依存の高齢者が、突然オフラインにされ今後繋がる目処が立たない』状態と、
『長年かけて衰退していった未来を描けないふるさとの危機に対面した若い世代が、焦って今更ながらのサルベージを試みるも余裕で跳ね返され、諦めの感情だけが浮き彫りになる』
そんな無力感があきらかになったのではないだろうか。

震災はきっかけに過ぎない

誰もが気づいていた。知っていた。
しかし目をつむり続けてきた『能登の再生(自立自走のコミュニティ形成、世代の代謝)、経済活動の甦生の不達成』を浮き彫りにし、国や政治が「お待ちください」「ボランティアがたりません」いや「現場の福祉行政は機能しているんです」と言いながら、
その実は「ほらね、やっぱり無理でしょう?仕方ないよね、ゆるしてね」と同情を誘っているのでは?
と疑いたくもなるのんびりした対応で、「万博は開催します」と重機や人や金をまわすそぶりすら無い。

“その土地の当事者がビジョンを持って立ち上がらないと外部からできることなどその場しのぎの付け薬に過ぎない”“将来的に人が活動しない(税収が見込めない場所に何十億もかけて防潮堤やインフラを整備することへのコンセンサスを全国民に問えない”

いや、ごもっとも。それはわかりきった事。明らかな事。

戦前から繋がる能登の本当の資源は、実は既に消えかけていて、戦後の経済成長に取り残され、チューブに繋がれて他力に依存し続けてきたからこそ、サポート出来ないと言われて今更騒いでいるのだ。
数十年かけて承継や経済的自立発展も実現せず、少しづつ忘れさられてきた能登は今、震災により消滅への加速を余儀なくされた。私たちは何を試されているというのか。

復興とは

ググってみると
一度衰えた(こわれた)ものが、再び盛んに、また整った状態になること。また、そうすること。
復・かえる・かえす・ふたたび・また
もとの位置・状態にもどる。かえる。
興・おこる。はじまる。さかんになる。たち上がる。

いったい何が復(かえ)り、どこで興(お)きたのだろう。

何もかえらず、何もおきてなどいない。

過疎集落で今でも避難を余儀なくされている集落があることを考えると、この高齢化地域に社会インフラの道路・電気・水道等の設備を再建すべきか?冷静に考える必要がある。

当事者や離れて暮らしている子世代は、負担がないので復興して欲しいと考えるのは至極当然である。

客観的に先行き10年を考えると、住人のいなくなる所に巨額の国の予算を使ってインフラを整備するのか?
それなら、これらを集約して集合住宅を提供する方が良いのではないかと思える。(これは諮問委員会の答申である、某県知事は見捨てないと言っているが…)

現状で被災者が望んいるのは、前のところで震災前の生活の継続だけであるはずだが、避難中・仮住まいの現状ではそのような議論レベルにない。

しかし、これらの人々との対話が非常に重要であり、線引きの時期なのかもしれない。

元々人口減少が止まらず自治体も合併を重ね現在の形になってはいるものの、さらに合併を含めた公共サービスの統合を行い健全化の延長をはかることが必須である「

いずれのせよ復興とは、ただ以前の生活に戻すだけのもので終われせてはいけない!
『創造的復興』というのならば、未来に向けてもっともっと新しいビジョンを示さなければならない。





読んでいただいてありがとうございます。 もしも「いいな」と思っていただけたら、感想と一緒にRTやシェアしていただけるとうれしいです。。。