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自信がなくて顔を上げられないので、足元ばかり見つめながら電車にゆられた。学生の視線が痛くてうつむいた。床を這っていた虫が急にこちらにめがけて飛んできた。みんなの視線が痛くて縮こまった。惨めだな。これから夜行バスに乗る。余裕を持って買ったコーヒーはすでに飲み頃になっていた。注文は苦手、いざ注文するまで頼みたいものをずっと心の中で復唱している。失敗してはいけないと、恥をかいてはいけないと。誰も私のことなんか見ていないのに。 SNSに溢れかえっているような可愛らしい容姿とは似
「私はあなたと居ることでたくさんのメリットがある。けれど、私から見て“あなたが私と居ることで得るメリットよりデメリット”の方が多く思い浮かぶ」そういう話をした時、『メリットかあ、考えたことなかったなあ。』そう言われた。 嬉しいとかそういう感情すっとばして「そんな考え方があるのか」とかなり衝撃的だった。 損得勘定で人付き合いをしているわけではない。けれど、友人であれ家族であれ「私といることでこんないいことがあった(少なくとも不利益は被らなかった)」と思ってもらいたいと思
※わかりやすいように兒玉遥さんの発言の引用は『』で表記しています。 はるっぴこと兒玉遥さんのしくじり先生を見て、私が感じたことを綴っていこうと思う。 ぱっと出てきた感想は「私と一緒だ」だった。『反省して頑張る自分が大好き』『反省していることに酔いしれる』『落ち込むこと=良いこと』など、まるで自分のことを言い当てられているようで妙な緊張感を覚えた。 自分自身のことを振り返ってみると、おそらく本当の意味で反省していることの方が少なく「反省している」という行為そのものが
自分をいたわるということが時々わからなくなる。自分1人分の料理を作ることをためらうし、誰かに作る時みたいにうきうきしながら食器を選ぶことはまずない。30分の距離を友人から呼ばれたら「なんだすぐじゃん」と飛んで行くが、自分のために30分もかかる目的地に行こうという気にはならない。 こうやって少しずつ自分をないがしろにしていっているんだろうか。私は相手が喜ぶ顔が何より好きだし、求められなくてもそれ以上の結果を残したいと思ってしまう性分だ。なぜかその気持ちが自分には向かない。
明日9/23は『今年も残り100日の日』らしい。『100日後に○○する○○』なんていうテンプレが少し前に流行っていたので、これを機に何か始めてみるのも面白そうだ。 『100日後に呪いを解くおんなのこ』にでもしようかな。誰かの言葉が呪縛になって何年も自分を苦しめている、そんな経験はありませんか。 いわゆる認知の歪みを整えて、少しでも生きやすく・少しでも自分を好きになれるような、そんな気持ちで新しい年を迎えられるように。まずは100日間自分との小さな約束を守っていこうね。
誤魔化すんじゃなくて、いい子でいるためじゃなくて、私が本当にしたいこと・なりたいものってなんだろう。 でもやっぱりみんなから嫌われるよりは、いくらでも好かれていたいし、優しい人と思われたい。それが時に都合の良い人だったとしても、その人と関わったその瞬間、相手がプラスの感情に動くような人である方が長い人生において得だと思ってる。 どんな人とも上手くやりたい一方で、そりの合わない人間関係はすぐに清算したい。相反する気持ちに自分がわからなくなる。早く名前をつけて安心させてくれ。