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脱資本主義に必要なベーシックインカムの強烈な一撃~『ゼロからの資本論』書評(前編)


斎藤幸平『ゼロからの資本論』(2022)を読んで得られた最大のものは、ベーシックインカム(BI)の大いなる可能性である。

しかし同様に感じた読者は少数だろう。
斎藤幸平は本書でベーシックインカムやピケティの再分配論やMMTをマルクスの言う法学幻想だとして軽視しているからだ。

これは前回ここで書評した柄谷行人『力と交換様式』(2022)の読後と全く同じ状況だと言える。BIが簡単に否定されたこの本の読後でも、私はその大いなる可能性をはっきりと実感した。

柄谷は貨幣の魔力を信じるあまり貨幣依存のBIをしりぞけた。
斎藤は、アソシエーションという草の根・ボトムアップ改革を信じるあまりトップダウン型のBI革命を軽く見ている。

だが実際、ベーシックインカムこそが脱資本主義にとって不可欠な第一歩・強烈な一撃となりうるものだ。

BIは柄谷の言う真に自由な交換(交換様式D)そのものであり、
アソシエーションの普及はBIによる生活重圧からの開放なくしては、決して果たせないものだ。

『ゼロからの資本論』のレビューと共にBIを核にした未来像を示したい。


1:草の根改革・アソシエーションの限界

私にとって『ゼロからの資本論』のハイライトは第5章の
ベーシックインカム(BI)・ピケティの再分配・MMT・福祉国家
について書かれた最終盤だった。

斎藤幸平はここで先の3つを否定し、福祉国家に関してもその限界を示している。

彼は自発的な相互扶助のコミュニティ・アソシエーションから始まる改革を信じていて、庶民が生産と労働をその手に取り戻すことで、資本主義の力が弱まると考えている。

だが、私の目にそれは現状維持に過ぎない。

アソシエーション的な草の根改革はこれまでも脈々と続けられてきたが、柄谷行人が『力と交換様式』でも指摘したよう、それらは常にローカルなレベルに留まってきた。

本書で斎藤はバルセロナで起こったミュニシパリズムという地方自治主義運動を取り上げている。

だが23年夏の今、スペインでは極右をふくむ右派の連立政権の誕生が確実視されており、その元ではこの運動の火も消されてゆくだろう。

資本主義の元ではボトムアップによる草の根改革・アソシエーショニズムは広がりを持てない。

せいぜい大企業の節税対策としてNGOやNPOなどの奉仕組織がぽつぽつできるくらいだ。彼らの活動は尊いが、同時に現状維持をもたらしている。

2:BIがアソシエーションの基盤になる

ではなぜ資本主義の元ではアソシエーションが広がってゆかないのだろう。多くの人がワガママで金もうけに執着しているからだろうか。

答えはノーだ。

その真の理由はシンプルに多くの庶民が生活苦にさらされ、時間や体力の余裕を持っていないからだ。

ほとんどの人は余裕がなければ、仕事以外の事でじっくりマジメに取り組もうとは思わない。

私にしてもある程度の余裕がなければ、ここでこうして誰に頼まれてもいないのに無償で書評を書くことなどできない。

本書で斎藤は、庶民の多くが、いつ破産するか分からない潜在的な貧者だと示した。そして同時に、多くの人はその思いがありながらも仕事への使命感を働く一番の理由だとしていることも指摘した。

この現代人の矛盾する二重思考の指摘は鋭い。
こうして労働者が自分で自分をだましているから
いつまでも資本家による搾取が続けられているのだ。

ベーシックインカムが実現されれば、大勢の庶民に余裕ができる。労働に駆り立てる権力の横暴から自由になれるのだ。そうなれば確実にアソシエーションは広がってゆく。

無条件で月5万円から10万円ほどの給付金が入るようになれば、大抵の人は地域や社会にとって何か有益なことを無償でするようになるだろう。そうしてアソシエーションは広がってゆく。

そうすれば資本家に押さえられた私有財産は、どんどん共有型のコモン・公富に置き換えられてゆき、いずれ資本主義は終わる。

あなたが普段よく目にするワガママな大勢の人たち、街中に無数にいるイライラした利己的な人たち。

彼らの大半は生活苦の中で心を奪われ
悪人の仮面をかぶらされているだけだ。

BIが実現されれば、間違いなく公共道徳は改善し、犯罪も激減するだろう。実際に絶対的な貧困率低下と犯罪率低下の相関関係は、ほとんどの国で明白なデータとして出ているものだ。

そんなバカなと思う人は、人類の性悪説に洗脳されているので、この書評でも紹介したルトガー・ブレグマン著『Humankind 希望の歴史』を読むことをおすすめする。(後編に続く)


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