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京都決定戦 第2回 問題・解説-2

「京都決定戦 第2回 問題•解説-1」の記事の続きです。前の記事のリンクを下に貼っておきます。問16から続けます。


16.顔輝の描いた『蝦蟇鉄拐図(がまてっかいず)』を所蔵している、上賀茂神社の神宮寺が前身となっている長徳山という山号を持つ浄土宗京都四ヵ本山に含まれている寺院で、左京区百万遍の名称の由来となっているのはどこでしょう。

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答え:知恩寺


17.『相棒』や『大奥〜誕生』などのドラマでロケ地となっており、吉備真備ゆかりの観音像や徳川秀忠の菩提を弔う三重塔が残る寺院で、幕末には会津藩の本陣として使われ、「黒谷さん」と呼ばれ府民に親しまれているのはどこでしょう。

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答え:金戒光明寺
本堂や庭園が非常に美しく、この力は京都南方を見渡せます。スケールが大きく、最初訪れたときは驚きました。


18.画家橋本関雪の妻米子が植えた関雪桜や雲鑑寺、大豊神社などが近くにあり、田辺元、河上肇などとも縁のある地で、「人は人吾はわれ也とにかくに吾行く道を吾は行なり」という西田幾多郎の歌碑が残る、若王子橋から銀閣寺橋までの散歩道を何と言うでしょう。

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答え:哲学の道
大体1kmくらいの散歩道です。地元の人もよく散歩しています。西田幾多郎が教鞭をとっていた京都大学はここから歩いて15分ほどのところにあったため、西田氏も気軽に訪れることのできる場所であったのでしょう。春は桜、夏は蛍の名所となっています。


19.狩野探幽の「水呑みの虎」でも名高く、藤堂高虎の寄進による三門からは京都市街が一望できる瑞龍山という山号を持つ寺院で、京都五山の上と位置付けられており、琵琶湖疎水の分線である「水路閣」には多くの観光客が押し寄せるのはどこでしょう。

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答え:南禅寺
南禅寺塔頭には金地院があります。金地院とは、徳川家康に仕えていた「黒衣の宰相」こと崇伝と関係のある寺院です。ここの庭園も非常に綺麗なのでおすすめです。水路閣は多くの若いカップルが訪れることも多く、テレビドラマの撮影などでもよく使われますよね。


20.豊臣秀吉が寄進した一文字型手水鉢や小堀遠州作の霧島の庭があり、東山山頂にある将軍塚青龍殿を飛地境内として持っている寺院で、住職を務めたことのある人物に足利義教やこの寺院の名を冠した書の流派を創始した入道尊円親王がいるのはどこでしょう。

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答え:青蓮院
マイナーで意外と知られていない寺院です。この寺院の庭園はまさに京都といった感じで、心が落ち着きます。


21.稚児餅という菓子はこの地に縁があり、境内には蘇民将来社、悪王子社などがある神社で、毎年1月3日に能舞台でかるた始め式が行われる、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭神とし、京都三大祭りの1つである祇園祭が開催されることで有名なのはどこでしょう。

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答え:八坂神社


22.洛陽三十三所観音霊場の第十番〜第十四番札所に指定されており、奥の院では三面千手観音坐像を安置している、坂上田村麻呂によって建立された寺院で、寺院の起源となった音羽の滝や本堂にある舞台が非常に有名なのはどこでしょう。

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答え:清水寺
この写真は2019年の春頃に撮った写真で、舞台が改修工事中でした。また、工事が終わった時期に行きたいです。


23.木食応其(もくじきおうご)によって創建され、近くには豊国神社がある盧舎那仏を本尊とする寺院で、かつては豊臣秀吉によって建てられた東大寺を凌ぐ大仏殿があった、大坂の陣の発端となった鐘が残るのはどこでしょう。

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答え:方広寺
「国家安康」「君臣豊楽」という言葉が問題となり、大阪の陣に発展したという鐘は現在でも見ることができます。これはでっちあげだと言われていますが、当時、名前を大事に扱うという考え方が強かったということを考慮すると、そのような事情を顧みることなく、安易に「家」「康」の字を分断したり、豊臣という字をくっつけたりしたことは若干無神経だったのではないかという学説も出てきています。


24.千利休の長男少庵の構えた茶室や洪隠山(こういんざん)石組を中心とした枯山水庭園が魅力的である、藤原親秀が夢窓疎石を迎えて再興した寺院で、西京区唯一の特別名勝庭園であり、苔の美しさで知られているのはどこでしょう。

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答え:西芳寺(苔寺)


25.講堂はその色から赤堂とも呼ばれ、蜂岡寺、秦公寺(はたのきみでら)とも呼ばれていた、603年に秦河勝が建立した寺院で、太秦の太子堂との別名を持ち、聖徳太子から譲り受けたとされる弥勒菩薩半跏思惟像が日本の国宝第一号として登録されているのはどこでしょう。

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答え:広隆寺


26.金運招来、商売繁昌のご利益があり、祈念神石のお守りを授かることができる清原頼業を祭神とする神社で、後嵯峨天皇が訪れた際に社前で牛車が動かなくなったことからその名がつけられた、境内にある芸能神社に数多くの芸能人が訪れるのはどこでしょう。

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答え:車折(くるまざき)神社


27.近くには法輪寺があり、西京区と右京区の境目ともなっている地で、2017年に発売された倉木麻衣の曲のタイトルともなっており、亀山上皇が「くまなき月の渡るに似る」と述べたことからその名がつけられた、嵐山の象徴とも言える橋は何でしょう。

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答え:渡月橋
倉木麻衣の曲は劇場版名探偵コナンの主題歌にも使われたので、知っている人が多いかと思います。京福嵐山駅から渡月橋まで向かう道は店舗が立ち並び、賑わっています。


28.当初は暦応資聖禅寺と称しており、曹源池を中心とした大小の出島を設けた庭園がある、元との貿易でまかなった費用を基に造営された寺院で、京都五山の第一位にもおかれている、後醍醐天皇の菩提を弔うため足利尊氏が夢窓疎石に開かせたのはどこでしょう。

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答え:天龍寺
嵐山の風景を背景に取り入れた借景でも魅力的ですよね。秋になると見られる紅葉はとても綺麗です。


29.鏡容池を含む庭園は国の名勝ともなっており、徳川光圀が寄進した「吾唯足知(われただたるをしる)」の手水鉢が置かれている、細川勝元によって創建された寺院で、雲海に顔を出した山岳とも大海に浮かぶ島々とも伝わる、15個の石を配置したことでも有名なのはどこでしょう。

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答え:龍安寺
15個の石を配置した庭園は、様々な解釈を生んでおり、山岳地帯、島々の他にも「虎の子渡し」と呼ばれる中国の説話を再現したものではないかとも言われています。それにしても、四方向から見て、同じ数に見えるってよく考えられてますよね。


30.茶室夕佳(せっか)亭があり、鏡湖池から舎利殿を映した景色は見るものを圧倒する寺院で、1950年には一度焼失したものの後に再建されている、北山(ほくざん)という山号をもつ、足利義満が造営した金閣が有名な寺院はどこでしょう。

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答え:鹿苑寺


以上となります。京都決定戦第1回と第2回で京都の有名な寺院仏閣はあらかた紹介したので、このような形式の記事は最後かもしれません。京都に関する記事はこれからもちょくちょく書いていくので、読んでくれると嬉しいです。観光地を訪れた記録なんかも、これからぼちぼち上げれたらと思います。

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