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「私のくるま」~迷い子のように...

私のくるまは 迷い子のよう…
役目を果たさず さあ どうする?

私の車は
父のために購入した
と言っても過言ではない
しかし その役目を果たしていない

もともと私は燃費のよい小型のハイブリットカーに乗っていた
しかし 急遽 車を買い替えた

その訳は
父を乗せていろいろな所へ出かけるために
父が車内で横になって 寝ながら移動できる
中古のワンボックスカーに乗り換えた

父は以来癌もちの人で手術を繰り返してきた
約4年前には喉頭がんの大手術で
声帯もリンパも全摘出した
そして昨年7月に父は癌を再発し
余命を告げられた
もって10か月 いや 半年かな
と担当医から言われた

その告知日から
父の希望を叶えるべく私の車探しが始まった

再発の告知を受けた帰りに
私は車内で父に尋ねた
「親父 生きているうちにやっておきたいことは何だ?」
父は「そうだな お母さんと新婚旅行で一緒に行った福島の五色沼という場所にもう一度行ってみたいな」
それから…と父は続けた
「お世話になったAさんの墓参りに佐渡へ行きたい」
話せない父は筆談メモに書いて私に見せた
(以降 筆談メモに書いた→言った)

私は間髪入れず
「できる すぐやろう」と言った
「その代わり 車が必要だ この車では無理だな」
「親父を横に寝かせて乗せたり 母を乗せて 荷物も載せるとなると ワンボックスカーが必要だな それも道を選ばずに走れる四駆になる」
と言って それを叶えるべく車種を見極め
かなり割高になる市場経済の中で購入した

時はお金に代えられなかった
今しかできないことに
今しかできないことを実現するならば
お金や時間は惜しまないと決めていた

日頃から世話になっている車屋へ 私はすぐに希望する車種を伝え
「早くオークションで落としてくれ」と焦る気持ちを抑えながらも頼み込んだ

それから2週間後 私のもとに車は届いた

その日まで
父は車が届くのを楽しみにしていた
私に「車はまだ来ないのか」とよく尋ねてきた
「今日も駐車場に行ってみたが車はなかった」と父は言った
納車が待ち遠しいらしく
毎日私の駐車場に車が来ていないか
楽しみにして様子を見に行っていた

車が届いた日 私はすぐに父と母を乗せて
夜の羽田空港まで試乗に出かけた
その道中 母が
「お父さんは今日も何も食べていないのよね」
と言ったので 私は牛丼屋を見つけ車を停め父の大好きな牛丼を買い込み 車内で父へ食べるよう手渡した

父は少しだけ口に運ぶと
すぐに手を止めてフタをした
あんなにすぐに食べてしまう父が
ほんの少し食べてやめてしまった姿に
私はその時
妙な怖さと違和感を感じたのを今も覚えている

その日から父は見る見る衰弱していった
よろよろと力なく 食べれない体はやせ細り
それでも すぐ近くに住む私のマンションに
父は夜 ひとりで歩いてよく私に会いに来た

いつも決まって 静かに音もなく入ってくる父は ソファーに座ると宙を見つめてずっと黙っていた
あの父の目は一体何処を見ていたのだろう
と今でも私は想う
生を終えるその先の世界を見つめていたのだろうか

いつも父の滞在は2時間ほどだった
私もずっと父の横に座って
同じように宙を見つめたり 話しかけたりして過ごした
こんな風に過ごせるのも当たり前ではないと
痛切に感じながら

そんな中で父は
「いつ行こうか 福島と佐渡へ
自分はもう歩く力がない だから飛行機や電車も無理だ」
「車だったら全部見て回れるな 乗っていればいいだけだ」と私に言った
私は「そうだな 車だったら福島も佐渡も簡単だ すぐに行ける」
「どんなに親父がしんどくなっていても大丈夫だ 車で横になって寝ていればいいから しんどかったら車から降りなくていいい 車から景色を眺めればいい」と父へ返した
父は「そうだな だったら行けるな 大丈夫だな」と言って 
続けて
「福島と佐渡 楽しみにしている」と私に筆談メモを手渡して 
よろよろと部屋を出ていった 

それからも時々
父は私のマンションの部屋をとぼとぼと力なく訪れては
「箱根に金目鯛の煮つけの美味いお店がある
お母さんと三人で一緒に行こう」
「横浜の港の見える丘公園にレストランがある お母さんと三人で一緒にディナーを食べに行こう」
「幼少の頃 よく父に横浜の波止場に連れていってもらった あの頃は楽しかった お前にも波止場を見せたいから一緒に行こう」
そう言って私に 車で出かけるプランをいくつも提案してきた

わたしは父の言うすべて対し 即「YES」と返した
それも「すべてできる 簡単だ 車でどこへでも運んでいける」と言い切った 
「いつでもできる すぐやろう 一個ずつ実現していこう」と

しかし 何ひとつ実現することなく終わった
私の想像の域を超える早さで父は逝った
告知された余命より少し短めであったとしても
父にことだから しぶといから
まだそんなに早くはないだろう
まだ生きるだろうと私は思い込んでいた

買い替えた車のお役目は 大義を果たすことなく わずかに数回だけ 大学病院へ定期健診に通うために父を乗せて走っただけだった

「父の生きている間に父のやりたいことを叶える」

というお役目を仰せつかった私の車は
その役目を見失った 
まるで生きる目的を見失ったかのように
使われる意味を成さず その存在の意味を見失い まるで迷い子のようになった

父が逝ってから半年間は
私はこの迷い子のような車を早く手放したく
買い替えたいと何度も思った
自分の生活のために使うにしても
私は乗るたびに 父を乗せて連れていけなかったことを悔やみ 自分を責めた

だからこの車の存在を私の生きる世界から消し去れば楽になれる
そう思い この車の存在を憎らしくさえ思った

役目を果たさなかった 時すでに遅しの車に
何の存在意味があるのか
費用がかかっても他の車に買い替えようと思った

父と生きた証だった
これは父の形見のようなものだ
だから大切に生かし続けて乗るんだ
と言える自分でありたかった

そう言って 愛おしく思える車にしたかった
父との想い出を大切にするように
父の生命が宿っているんだと自覚できるような
そんな尊い存在の車なんだ と言いたかった

父の願いを叶えて旅した
そんな役目を果たした父の形見のような
父の生命が移り宿る大切な車なんだ
と言える車にしたかった

未だに私はこの車に乗ると
正直 なんともいえない気持ちになる
移動手段として使うにも悶々とした気持ちになる 
これから先 この車に
どんな意味を持たせようかと考えている
迷い子のようなこの車に…
この先どんな役目を持たせようかな…と

 2024年7月12日




 
























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