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「膝の代わりに」 〜エッセイ

私は自身の価値を問うべく
当時最強?とは言い難いが
ある武道空手の流派(実戦空手)の世界に身を置いた時期がある

当時の私は20代の後半
バカみたいに空手に打ち込んだ
一日中 空手漬けの生活がしたくて
無職になって朝から深夜まで
空手漬けの生活に浸った

朝から昼までは裏山をロードワーク
昼からは入念なストレッチ
夕方まではウェイトトレーニング
坂道ダッシュなど
夜からはいろんな道場へ出稽古へ行き
そこでいろんな黒帯選手たちと戦う
帰宅するとビデオ動画を観て分析
そして大事な試合に向けて備える

そんな日々を送っている最中
試合で膝の靱帯断裂と半月板損傷と軟骨を粉砕した
これがきっかけで
何度も何度も手術を繰り返すが
膝の位置は修正できず
ピンポイントな位置に戻らず
約20年近くに及んだ手術はむなしく
復帰ならず所属する流派を後にした

何のための手術とリハビリの約20年だったのか
復帰だけを夢に見続けてきたことは
一体何だったのか
自問自答したって答えなどない

悶々と復帰できない長い年月を味わい
最終的には50歳手前の最後の手術で
空手の復帰はできないと告げられ
おまけに生活も困難になるから
早めに人工関節を入れる方がよい
と言われた

その間に私は車いす生活なども経験し
当たり前に歩けない 階段を昇降できない
退院して社会へ出ても
ゆっくりしか歩けない
歩くのも痛い 階段使用は困難だ
いつもエレベーターを探す 
試合で膝を壊す前の自分とは別人だった

ある時から
自分は膝を失った
と思うようになった

実際には何とか歩行できる程度の
無理しなければ普通に生活できる程度の膝は現存するが
以前のように走ったり
飛び跳ねたり
思う存分 好きなように体を動かすことは
当然できない体になった

いつも横断歩道は青のうちに渡り切れるか
バス停に停まっているバスに間に合うか
ホームに停車中の電車に乗り込めるか

急ぎ足もできない私は
いつも途中であきらめて
次を待つことも少なくない
そんな以前とは違う自分を
いつしか社会的弱者のように感じることもあった

自分は膝を失った

以前は空手をやっていたからこそ
危ない場面から身を守れることも確かにあった
今は膝が自由にならないことで
もうすでに以前の私とは違って
何かの時に咄嗟に逃げたり
身を守る術はないに等しい

未然に防ぐしかない
アクシデントに巻き込まれぬように
気を付けて身を守る
そう自覚するようになるまでは
かなりの歳月を要したと思う

でも人間は不思議な生き物で
何かが不自由になると
今までに考えもしなかったことで
生きようとするものだ

例えが適切か否か わからないが
沖縄の飛べない鳥「ヤンバルクイナ」は
地を這う逃げ足が速いため
そうは簡単に天敵の餌食にはならない
鳥なのに空高く飛んで身を守ることができないからこそ
地を這う足の速さを身に着けることになる

これを都合よく自身に例えさせていただくなら
私は昔 実戦空手の選手であったが
試合で膝を壊し
以前より身体が不自由となり
身体を動かして生きる世界から身を引いた

そして今はこうしてエッセイを書いたり
絵を描いたり 障がい福祉的な活動として
みんなの居場所のようなアトリエを運営している

ほんとに人の世は 人生はわからないもので
まさか自身がこんなてん末になろうとは微塵も思わなかった
私は空手の試合で膝さえ壊していなければ
間違いなく空手を続け 道場で指導する立場であったと思う
今のようにエッセイを書いたり 絵を描いたり
福祉的な活動などは一切していなかったと言える
それだけ空手にのめり込み いわゆる空手バカだったからだ

生活も不自由な膝を抱え
表現が適切ではないが
自身の膝が以前と違って退化したとするならば
素早く行動できなくてもよい
動き回れなくてもよい
それとは真逆の生き方に自分は変わっていったのだろうか

膝の代わりに得たものとは
膝の代償とは何だったのか

当時 なぜ約20年近くも膝の治療に明け暮れ
空手の復帰を目指したのに努力は報われず 
夢は叶わなかったのか
長く自問自答を繰り返してきたが
それは今
過去として心の中に整理されつつある
そんな風に今は静かに感じている

今があるのは
膝の代わりだったのか
膝が退化したからなのか

そのほんとうの答えは
自分が死ぬその時までわからない
死ぬその時すら
わからないのかもしれない


2024年7月23日










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