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改めまして、自己紹介。カータン、こと太田香織のSTORY Vol.1 ~生い立ちとお菓子屋さん~

こんにちは。訪問ありがとうございます。
カータン、こと、太田香織です。

カータンというあだ名は、母が呼んでいたんです。「かおり」だから、「カータン」です。結構、長い間使ってます。仙台に住んでいます。

現在私は、人生初のクラウドファンディング中です。
私がビジネスを学んだ女性経営者・叶理恵さんを、仙台にお呼びして、講演会を開きたいんです。その開催費用を集めるべく奔走しております。

初めてのことで右も左も分からなくて、右往左往中です。クラファンが始まってから、応援の声の暖かさに涙したり、自分の不甲斐なさに涙したり、とにかく、なんだが、泣いてばかりの日々を過ごしてます笑

今日は、そんな私が誰なのか、なぜ、叶理恵さんの仙台講演会開催のクラウドファンディングを立ち上げることになったのか、自己紹介かねがね、綴っていきたいと思います。


子供の頃からの夢だったお菓子屋さんになった私

私は今、店舗を持たない形でお菓子屋さんを経営してます。二つのブランドを立ち上げていて、100%インスタグラムだけの集客なんです。それが4年目。おかげさまで、大反響を頂きまして、お菓子は1ヶ月以上お待たせしちゃっております。

お菓子ブランド「silence」の商品


月餅専門店「月のお菓子」の商品


独立して、自分のお店を持って4年目ですが、私のお菓子屋歴は長くって、ずっと、お菓子屋さんで働いていたんです。25年ぐらい。

7店舗・従業員100人以上いる会社で会社員でした。そこで、管理職だったので、新入社員教育も担当してました。

私は、子供の頃からの夢がお菓子屋さんになることだったんです。よくある女の子の夢って「ケーキ屋さん」「お花屋さん」「歌手」とかで、少ない選択肢からどれかを言っていたりしますけど、私がまさにそうでした。

小さい頃からお菓子作りが好きで、当時実家にあったオーブントースターでせっせとクッキーやスポンジを焼いてました。

そんな私が、25年も勤めた会社を思い切って退職し、夢だったお菓子屋さんを開業したのは、2021年。コロナ禍でした。

長男が20歳になったら、、と思っていたので、コロナ禍だろうと、このタイミングで起業しました。

3.11大震災と余命宣告

もう今から13年前になりますね。あの東北大震災、ご存知のように、私の地元の石巻では、すごい大変な被害を受けました。というときに、うちの主人が具合が悪くなって、そこで病気が発覚しました。震災とは関係なく。そこで、余命2ヶ月を宣告されました。

余命宣告も「自分は幸せだ」という主人

たくさんの方が被害に遭われていたタイミングだったので、病院に入院できなかったり大変だったんですが、うちの主人は「自分は幸せだ」っていうんです。

だって、その日、一瞬で、2万5000人ぐらいの方が、突然なくなったんです。なんの準備もなく。でも、自分は余命宣告されたから、残された時間で準備ができる。家族のために生きるって言って、息子たちに手紙を残してました。

「明日が来るのは当たり前じゃない」ということ

主人と結婚したときには、主人と2人で「老後は2人で何かこういうとこ旅行に行きたいね。」とか「将来子供たちが巣立った後に2人で手繋いでさなんか色々デートとかしたいね。」とかって話してたし、もちろん、震災も経験前だったから、当たり前だと思っていた明日が、突然、当たり前じゃなくなってしまって。

「あれ?なんか未来って絶対来るんじゃないんだ!」
ってことにそこで気付かされたんです。

「明日が来ないかもしれない」っていうのを、なんか目の当たりにしたときに、
「今日はありがとう」って伝えようとか、
「今日やりたいことをやろう」って。
「いつか」じゃなくて「”やりたい”と思ったこと」は、「今」やった方がいいし、あと「ごめんね」とか「ありがとう」とかっていうのは絶対今日言わなきゃ駄目って。思うようになったりしました。

ずっとやりたかったことを、すぐに、やる

そうやって、震災と主人の死があって、ずっとやりたかったお菓子屋さんになることを3年前、決意しました。

次回に続きます。


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