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20221010 薬を飲まない方法を考えてみる(過去の振り返り①)双極性障害と診断されるまで

昨日出かけた反動か天候のせいか
今日はイマイチ何もやる気が起きずにいる。
スマホを握りしめて徒然なるままに文字を
書き連ねるくらいしかできない。


このnoteは心療内科の通院記録のために
始めた。
こうして毎日書いていると、いろいろな
発見があるように感じている。

そして私は性懲りも無く、今日も薬について
考えてしまうのだった。

私のnoteで一番多い記事はきっと
」について。
今日もまたそのテーマで思うことがあり
それに沿って書いて行こうと思う。
(薬を飲むことついて絶賛葛藤中)

薬はできるだけ飲みたくないマンの私だが
現在、双極性障害(双極症)の診断を
受けている為「炭酸リチウム」を
朝晩服用している。
(それと漢方の補中益気湯)
現在、通院を再開して1ヶ月半が経過した。


双極性障害とは躁鬱病で、最新の名称は
双極症」というらしい。


双極症は気分の浮き沈みがあり
うつ症状のみならず躁状態になる。
そのコントロールは自力ではなかなか難しい。


そんな中でも、どうやったらできるだけ
薬を飲まずに過ごしていけるかな、などと
考え続けている。




ここから少し、自分の過去を振り返る。


私は10年ほど前まで心療内科に通院していた。
その後寛解したと思われ、ずっと薬とも
遠ざかっていた。

心療内科の初診日は2004年と記録にある。
この頃は、うつ状態というよりも、原因不明の
体調不良が続いていた。
最初の診断は

「自律神経失調症」

何らかの抗うつ薬を処方された覚えがある。
その時は飲まずに、様子を見ようと決めた。

その後、何とか仕事をこなしていたものの
次第にうつ症状が現れるようになる。
これは無理だなー、と思い初診から1年後
くらいに別の病院を受診した。


当時の記録は残っていないので記憶だけ
を頼る。 

確か、一番長く飲んでいた薬は
「トレドミン」
SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン
再取り込み阻害薬)だった。
調べてみると三環系抗うつ薬よりも躁転する
割合は低いものらしい。
にもかかわらず


私は薬で躁転してしまった。


何をしたかというのは具体的には書きずらい
ことなので、そこは割愛する。
まあ、普段の自分ならやらないだろうよ...
ということをやらかしまくった。
気持ちが大きくなりすぎたのだと思う。
少々、今までの自分からは考え付かないような
常識を逸脱してしまうようなことだった。
あとはテンションが上がりすぎて、うつ病は
治った〜!と勘違いした。
当時のかかりつけ医に、もう薬は要りません
と話をした。

結果、抗うつ薬はよろしくないよね。
となり薬は余儀なく変更となった。
その時の診断名は


「気分循環性障害」



初診でうつ病の診断をされてから
およそ7年ほどのことだった。



双極性障害に比べると、躁も鬱も比較的軽い
症状らしい。
とは言え、飲む薬の種類は同じく
炭酸リチウムや気分安定薬。
当時はリーマスに加えて微量ながら
ロゼレムやラミクタールという薬を
飲んでいたらしい。
(これは記録に残してあった)


記憶は定かでないけれど、その診断から
確か2年ほどして薬は無くても生活が通常に
送れるようになった。
カウンセリングだけを受けていて、最終的には
それも必要なくなった。
話すことが無くなったからだ。


大きな理由は
当時の原因だったと思われる職場を
退職したから。
とは言え、診断がうつ病から気分循環性障害に
変わったのは退職後。


仕事は正社員で初めて就いた職業だった。
業務内容は好きだったし、やればやっただけ
評価が付いてくる。
当時は割と景気の良い職種だったし、収入も
それなりに多かった。
充実した仕事に就いているつもりだった。

ところが長く勤務していたため、いつの間にか
現場から外れることが増え、中間管理職という
役割を与えられていた。

いわゆる上司と部下からの板挟みという経験に
私は疲弊した。
でも、この調整役をやれるのは私だけ!
という謎の使命感に掻き立てられていた。
そしてそれから引き続き、強烈に仕事に
のめり込んで行き、ある時燃え尽きたのだ。


ちなみに仕事にのめり込む前は
めちゃくちゃ恋愛依存だったので、元々
依存体質なのだろう。


それから3回ほど休職をした。
最後の1回は最長期間の1年半。
休んでいる間は、症状はだいぶ良くなる。
けれど戻るとまた鬱状態になってしまう。
それを繰り返していた。

それでも、仕事をすっぱり辞めるという
選択はできなかった。


3回目の休職から復帰して、また数ヶ月で
うつ状態がぶり返す。
この仕事を続ける以上、鬱が治ることはない
そう感じるようになってきた。
最初は気遣ってくれた周囲の仲間たちも
だんだんと離れていくのを感じていた。
いい加減、職場でも肩身が狭くなっていた。


そして私は13年ほど勤めていた会社を
逃げるように退職してしまった。
初診日から7年ほど経過していた。


しかし、退職しても鬱は良くならなかった。
むしろ悪化して行ったのである。

...薬を飲まない方法を、と考えていたはずが
過去の話が思いのほかとても長くなって
しまったので②に続く。
(多分)

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