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私の生育歴と大きな夢 ②私の両親について〜父へん

私の生育歴を書く前に、私の大きな夢を書く前に私の両親について書いておこうと思います。なぜかというと私の生育歴に関係するからです。そして社会人になり乳児院勤務時代に自身の生育暦と共に両親の生育歴を調べてまとめました。

◇目次

①父の両親(私の祖父母について)

②父の幼少期と生活について


①父の両親(私の祖父母について)

私の父は、軽度知的障害の父と健常者の母(バツイチ)のもとで生まれました。私の祖母であり、父にとって母であるYはとある街の次男と結婚が初婚。しかし、義理のお兄さんである前夫の長男が亡くなり、前夫の兄の嫁に前夫を取られたそうです。そして、私が生まれた街に裁判所があり、そこに通うようになります。通うことから裁判所の近くで住み込みで働くところを探し、紹介してもらったところが私の祖母が嫁いだ家でした。農家でした。住み込みで働きながらそのまま軽度知的障害(当初は精神薄弱者)の祖父と2度目の結婚をして生まれたのが私の父です。父はひとりっ子。また、父は叔父さんや叔母さんとも暮らしていました。その叔父さんや叔母さんも知的障害者であり発達障害をもっていました。昔ですから、障害名は多少違いますが…。父の母(祖母)はとても我慢強い人です。姑の関係を聞くと相当酷かったと思います。よく働く我慢強い人です。がんの疑いを30〜40代で疑われ、手術したものの、腹を開けてみたら見つからなかったり、40代から関節リウマチになり手足が変形しています。ほぼ手はグー✊です。足の指も2段になっています。←伝わるかな?とにかくここまで変形し続けるのは相当痛いし辛かったと思います。それでもずっと働き続け、我慢強い人です。沢山抱きしめたい、私にとってはそんな存在です。父の父(祖父)については馬鹿な人という言い方しかされたことがなく、父からもあまり話を聞いたことがありません。誰も教えてくれません。どんな人なのか詳しくは分かりません。ただ、遺影の写真だけを見る限り、父の顔に似ています。やっぱりこの人(祖父)と父は血が繋がっているの感じる瞬間です。


②父の幼少期と生活について

上記の①からも分かるように父は幼い頃から障害者がいる中での生活でした。父は子ども時代に友人を家に連れてこれないそんな状態だったそうです。小学生の頃は学級委員長などを行い、足も速く運動神経が良く、そこそこ勉強もできていたようです。地図や地理に関心があり、郵便局で冬はアルバイトをしていたそうです。郵便局に勤めたかったそうです。ですが、農家だったこともあり、農協に高卒で勤めることになりました。学校と家の差は大きかったようでしたが、近所の人はある程度理解があったのか父の近所の先輩達と野球をした思い出を話してくれたこともあります。ただ友人を家に呼べない、抵抗感があったようです。これは結婚する時も同じで、父は若い頃何度も結婚相手に出逢います。家族を紹介する度に離れていったと言います。そんな辛い経験も沢山しているのが父。その中で出会って生まれたのが私と思うと奇跡のようですよね。その後も叔父さんや叔母さんのことをみていくことになるのは父です。(祖母も父にとっての叔母も健在です。)


ここまで長々と書いてしまいましたが、読んでいただきありがとうございます。父の幼少期を考えると色々とおもうことはあります。また次回は母について書いて行きたいと思います。またぜひ。♡お待ちしております!



2021.11.11


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