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【画廊探訪 No.022】水面に映る月を小指で掬って ―――伊藤清子作品に寄せて―――

水面に映る月を小指で掬って
―――伊藤清子個展 ―temptationー に寄せて―――
襾漫敏彦
 生を貪るものは、みずからを支える形が必要である。外から侵されないためでもあり、重みに自壊しない為でもあろう。しかし、僕等は、文明の中で自分を支えることに躍起になりすぎて、軋む体の声に耳を傾けなくなった。光りあふれる世界を背にして、彼女は、海の中に月を見て飛びこんだのだろう。

 伊藤清子氏は、日本画家である。彼女は高知麻紙の画布に岩絵具で背景を、そしてモチーフを書きこむ。それから、和紙を一枚、表面をコーティングするように重ね、その上から更に図像を描きいれていく。そのため、三層の像を重ねあわせた表現になっている。いわば、厚いガラスの両面に模様を書きいれ、厚みとあわせて表現するような感じであろう。

 生き物の姿を様々に描いてきた伊藤清子氏は、今回の個展で、海の生を求める。その作品は、形の写生から、命の表現、そして生の触れ心地へと遷っていく。形態から、動き、そして接触。海月(くらげ)の丸い本体は、姿を潜めはじめ、水干絵具で象られた触手は、形を忘れ、線として融け出しているようである。それは、浮くがままに、夜の海に身をまかせ、眼を閉じて触れる感覚だけで、世界と対話するようなものであろうか。暗闇に感ずる他者の存在、それが、生命の温もりとして薄紅の色として、背景に析出したのだろう。

 話す、触れる、絵を描く、人はそうしてコミュニケーションをとろうとする。しかし、そのような形の中で、通いあうものは、貝殻や骨のように形に遺るものではない。彼女が描きはじめたものは、そういうものに触れているのかもしれない。


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この人は日本画家で、主に猫を描いています。

わたしがあった頃は、震災の後で、その頃は、クラゲをたくさん描いていました。その推移も興味深いです。

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