【画廊探訪 No.002】 揺らぐ水面を鏡に私を問う ―≪私であるために≫ SAKI OTSUKA展に寄せて――
揺らぐ水面を鏡に私を問う
――SAKI OTSUKA展 ≪私であるために≫(Gallery Face to Face)に寄せて――
襾漫敏彦
水面は、精神の揺らめく平面である。魂として現れる肉体の蠕動は、カンバスに撓む曲線として幾重にも繋げられては重ねて描かれる。かくして魂の勾配(グラディエーション)は、写し取られて精神として描かれる。
大塚咲氏は、魂の宿る身体で、世界の音を聞きとる画家である。彼女は、ひとつの出来事を経て神の造ったホムンクルスの祝福された群れから切り離された。大塚氏は孤り(ひとり)になった。ゆえに個となって自分を確かめ始めた。
大塚氏は、人の目的の客体として扱われる自分を問い始めた。女性の俳優(わざびと)として、写真の被写体として。そして摂る側になり撮られるものに見られる存在となった。扱われることに理由を求め続けたが、そこに自分のほかの誰も答えはもっていなかった。
客体としての自分から、自分の中の客体をあらためて見つける。鏡を見る自分と鏡の中の自分、その往復に全てのつながりを見いだしたのか。自分は自分でしか語れない。
今回の個展で、大塚氏は滲み出してきた図像の様(さま)に、魂に響く形を見つけだしていった。何かを描くのではなく描かれるものを色が溶けた水の中から掬い出す。多くの人間と関わり、そこに自分を探し続けた彼女は、彼女を通してあらわれた模様である水鏡に己を映して世界に触れる。
このクニの先人達は、大地の樹木の中に仏の姿を見つけて彫り出してきた。そこに居ぬ神を恋い求めては、何かを広い集めて形を拵えるのではなく、様々なものが結びついた樹木の中に出会うべきものを彫り出した。
大塚咲氏も、己と一体である大自然の連関の中に、その中の私を理解するための鏡である水面(みなも)を見つけたのだろう。
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大塚咲さんとはGallery Face to Faceでの個展でお会いしました。エネルギッシュな方でしたが、noteを利用したらと勧めてくれたのが彼女です。ホームページをたてることも考えていたところでしたが、いい機会どとおもいnoteをはじめてみました。
大塚咲さんの公式ページです
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