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「1%の努力」が案外秀作だった話

こんにちは!今日のnoteはこんなテーマで書いてみようと思います。

先に言っておきます。ひろゆきの回し者ではないですからね!w

45万部って、すごく売れてる本なんですね!(今知ったw)

それもそのはず、いや〜すごく刺さる内容でした!私には!

ひろゆきさんって、論破王とかよく言われているじゃないですか?

この本もタイトルからしても、そんなイメージが湧いてきますよね?!でも、実際のこの本の内容は、全くそんな感じじゃないんです。

実直で、真面目で。そして、優しくて。

本を読む人の役に立とうというか、貢献しようというか、そんな他人想いな人に感じたんですよね。

説明がとても平易でわかりやすい。つまり、読み手のことを考えて、ストーリーが綴られているんです。

この本の主題は、「1%の努力」。

言葉の裏側にあるのは、人はどうすれば努力、すなわち「苦しいこと」をせずに、人生を楽しく、幸せに生きていけるのか?というメッセージです。

言わずもがな、日本の世界幸福度ランキングは2022年は54位と先進国の中ではとても低い位置をキープ(?)しています。

そんな状況の中で、私たちはどうすれば幸せに生きていけるのか?について、彼なりの視点で書いているのがこの本なのです。

内容の多くは、仕事との向き合い方について

仕事が楽しくない、仕事を何のためにやっているのかわからない、仕事なんてもう辞めたい!と思う方は、読んでみられることをおすすめできる内容でした。

今日のnoteでは、そんなひろゆきさんの本「1%の努力」に書かれていた内容から、私自身の仕事でも実践しているなって感じたこと、このマインドセット大事だよねと思ったことについて触れてみたいと思います。

人類の努力はほぼ無意味だ

本の序文に書かれている衝撃的な一言です。またこんな記載もあります。

たとえば、僕は、人生に「生きる意味」は存在しないと考えている。
虫や細菌に生きる意味がないのと一緒で、地球上の生物は地球の熱循環システムの一部としての機能を果たしているだけだ。
ただ、そう考えることで、「じゃあ死ぬまでにできるだけ楽しく暮らす方がいいな」と思うことができる。
幸せの総量を増やすことを目標にすればいいのだ。

P19より引用

ひろゆきさんの考え方は、人によっては残酷に映る部分もあると思います。「そんな夢も希望もないことを・・」と感じるような記載もちらほら。でもよくよく文章を俯瞰して読み、あるがままにそれを捉えてみれば、「待てよ?確かにそうだな。」って感じることが多いのです。

刺激的で残酷ながらも非常に的を得ている。

上記も、努力し成長することに力を注ぐのではなく、いかに死ぬまでに自分らしく楽しく生きるのか?その過程の中で、結果的に必要な場面で、自分に合った方向性で最小限の努力をすればいい、ということなのです。

◇◇◇

翻ってこれまでの私の人生を振り返ってみました。実は、私自身も無意識的にこう捉えていたような気がするのです。

「努力なんてしても、自分にできることなんてたかがしれてる」「努力なんてしたって無駄」ってどこか思っていました。なのでいつも「じゃあこんなどうしようもない僕でも、どうしたら人生ハッピーに楽しめるんだろう?」ってことをよく考えていたんですよね。

その思考の先にあった行動が、一人旅だったと思うし、最初の会社への就職だったな〜って思うんです。

大学生の私は、とにかく自分が社会に出るなんて想像つきませんでした。

そもそも人見知りだし、これといった特技もない。大学の成績だって優秀ではなかった。(優・良・可・不可の中でほとんどの単位が「可」だったんです。)授業中もだいたい寝ていました。

そんな私を動かしてくれたのは、好奇心だったなぁって思うんです。

卒業後の進路となった、製薬会社への就職も、ちょっとした好奇心から。きっかけは、ユーザー登録したリクナビから送られてきた冊子でした。

私たちは、医薬品を通じて患者さんに笑顔や幸せを届けます。

そんな感じのメッセージが書かれていたんですよね。これに純粋に飛び乗ってみた。ただそれだけなんです。

面接の場面では苦労もしました。努力もしました。ですが、振り返ってみて、その努力ってほんの少しだけだった気がしますし、大抵あと付けだったんですよね。何かに向かって、毎日コツコツというよりは、最終的な辻褄を合わせるために、一夜漬けで一気にといった感じです。

その後アラサーになって挑戦したワーホリだってそう、転職だってそうなんです。あくまで好奇心の先にあったのが、必要性に駆られて行った僅かな1%程度の努力なんですよね。

「夏休みの宿題」への取り組み方

この話が個人的にはとても興味深かったです。

小学校時代の夏休みの宿題への取り組み方から、自分の頑張る方向性を見定める自己分析

皆さんはどのタイプに該当するでしょうか?

①早めに終わらせる、あるいは毎日コツコツやるタイプ
②自由工作や絵などに時間をかけて取り組むタイプ
③最終日が迫ってきて慌ててなんとか間に合わせるタイプ

P231より引用

どのタイプなのかで、仕事の種類の向き/不向きが変わってくるそうなのです。(どのタイプにどんな仕事が向いているかは、実際本を手に取ってご覧ください!)

私は完全に③のタイプでした。

③タイプの人には、リスクマネジメントや対人による交渉ごとが向くそうです。

いや、これめちゃくちゃ当たってるなって思いましたw

なぜかというと、私の普段の仕事ってまさにコレなんですよね!

問題が起こった時のトラブルシューティング、パートナー企業との価格交渉、グローバルとの接渉。自分のタイプと仕事内容が合っているから、比較的苦しむことなく仕事ができるんだなって思います。

でも裏を返せば、実はこれって誰にでもできることじゃなかったんですね。たとえば①タイプの人にリスクマネジメントや交渉ごとをさせるのって超酷なことなんです。あたふたして潰れる原因になるだけ。

だからこうして自分のタイプを普段から見極める癖をつけ、自分の身をどこにに置くべきなのか?を理解しておくことが大切なんだって思いました。

ひろゆきさんのすごいところ、それは自分の得意・不得意を徹底的に自己分析されているところだと思います。その上で、得手・不得手に関係なく、どう自分のその特性を調理すれば、結果的にラクして成果が出せるのか?を徹底し考え、実行に移されるところ。これに尽きるのだろうと思います。

いやすごいなぁ〜って思う反面、実は同じように真似して実行すれば、自分だってできんじゃないの?って思ったんです。言わばほとんどの事象は、発想の転換であり訓練なんですよね。

どうすればラクに仕事ができるのか?パフォーマンスが発揮できるのか?

タイプ③の私には、この禅問答がこれからも必要になってくるんだろうなって感じました。

真髄をつく「働かないアリ」理論

せっせと働くアリの対比として出てくる「働かないアリ」。

悪いもののように聞こえますが、ひろゆきさんが最終章で解説されているのは、この「働かないアリ」になることへのススメなんです。

「働きアリ」は、任された仕事を一生懸命こなす。巣を掃除し、餌を運び、せっせと働く。
「働かないアリ」は、ダラダラと何もせず過ごし、たまにプラプラと外を出歩く。サボっているように見えて、たまに「バカでかいエサ」を見つけて、巣に戻って報告をする。それを他のアリたちが運んできてくれる。

そんな「働かないアリ」であれ。

「働かないアリ」のように、お金や時間にとらわれない状態になると、チャンスが見えるようになる。

P4より引用

これも人それぞれ向き不向きがあると思います。

ただ、私のような自由人タイプの人間は、基本的に「働かないアリ」に分類される人間です。

いつも考えていることは、「どうすればもっとラクに仕事がこなせるだろうか?」や、「時間をかけずに最大限の成果・評価を得られるには?」みたいなこと。

でもこれって、イノベーションだとか、生産性だとか、そういった観点では大事な視点だよな?って私思うんです。

ひろゆきさんがおっしゃる「働かないアリ」になる要素は2つです。

  • 「ダラダラ過ごすことに罪悪感がない」

  • 「自分の興味あることに没頭できる」

いや〜確かに、この2つ大事だなって思うんです。いわば本能に従って過ごす。家庭での生活だけでなく、職場生活においても。

就業時間であっても、やりたくない事はやらない。やる気がしない時にはやらない。そして、そのサボった時にも一切の罪悪感を感じないようにするんです。

たとえば、どうしてもレビューしなければいけない資料があったとして、それのレビューが明日でもいい場合は、明日に回してしまう。どうでもいいなと感じる資料であれば、実質レビューもせずに「問題ありません」と返してしまう。

一方で、大好きなプレゼンや社内のコミュニケーションの取り組みは、仕事そっちのけで全力で資料を作る。イベントに参加する。

まさに自分の素直な感情や好奇心が赴くままに行動する。それがひいては「働かないアリ」になる一歩なんだろうなと改めて感じました。

まとめ

さぁ、だいぶ何が書きたいのかわからなくなってきたところで、クロージングに向けてまとめていきたいと思いますw

この本の中でも何度も出てくるのが、働かない大人の話です。私もこれまで世界を旅したり、カナダに住んだりして感じたこと、それは働かずにただただ油を売っているような大人がそこいらにゴロゴロといた事でした。

それでも彼ら/彼女らはそれなりに楽しんで生活をしているように見えたんです。

こんな姿をたくさん見てきて、私自身もこう思いました。

別に私だってクソまじめに働く必要なんてなくない?

翻って日本では街中を歩いていても、これまでそんな大人に出会うことはほとんどありませんでした。

日本ではどうしても「大人ならこうあるべき」みたいな社会的な空気感が強い。だからそこからはみ出た人が自分らしくいれる公共の場public spaceが少ないことが原因なんだろうと思います。ひいてはそれが日本全体を息苦しくさせている。そんな感じがどことなくしちゃうんです。

「サボる才能」はあるか?

この本の最初にあるこの言葉は、とても深い意味を日本という社会に投げかけてくれている。そんな風に感じた日曜の午後でした。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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