見出し画像

読書中

最近、図書館で借りてきた本を途中まで読んだ。ほしおさなえ・著「活版印刷三日月堂 星たちの栞」。中編4つが収められている。タイトルになっている「星たちの栞」まで読み終えた。

過去形とはいえ人の死がたくさん出てくるため、楽しいばかりでもないのだが、新しい本の良さを感じつつ、レトロな活版印刷の話を楽しんでいる。

本の中にある過去形のいろいろな話も気になりつつ、本とは関係ない、2月に行った市谷の杜 本と活字館に行ったときの記憶と、自分の最近のことも混じり、何だか混沌とした気分ではある。

本の中では、近しい人の死を含めた、いろいろな過去の記憶と、そこから離れた現状とが、不意に繋がる様子が印象的だった。現状が悪くなる方向に話が進まないようなので、どの編も安心して読めている。それはきっと、同じ著者の「紙屋ふじさき記念館」と似た展開かと、勝手に思っているだけだが。

中編「星たちの栞」は、「銀河鉄道の夜」がテーマになっていた。それを演劇で過去に演じた登場人物、書き込みのある古い全集など、随所に銀河鉄道の夜の話が出てくる。

他の中編も含め、登場人物の今と過去だけでも、ほっこり気分でさらりと読めるものでもなく、何だか深い内容だった。さらりとした文章は心地良いのだが、何かを持て余すような気分もある。

2月の市谷の杜 本と活字館では、活字が拾われていた。
「銀河鉄道の夜」にも、活字を拾う場面があるらしい。
話としては関係ないのだが、「『銀河鉄道の夜』を拾っているようです」というようなスタッフさんの言葉を聞いた私の記憶、拾っている光景を見た私の記憶も混じり、「星たちの栞」には更にカオスな気分になり、読書は一時停止。

つい最近、自分でも、過去の記憶をうっかり検索してしまったせいもありそうだ。

母との話の流れで、私が通ったことのある小学校の名前を伝えようとし、古い記憶の校名の漢字が合っているのか検索した。それは必要で簡単で意図的な動きだった。

が、つい、すぐ隣に表示されていた地図をタップし、ストリートビューに入ってしまった。長く住んだ土地ではないとはいえ、それは、いきなりの故郷訪問。

縁遠くなった父方の親族に関わる土地は遠く、久しく行ったことはない。その小学校に通ったときの家が取り壊され、何の店に代わったかは、随分昔に父方の親族から聞いていた。

ストリートビューで到着したものの、どこに着いたのかわからなかった。キョロキョロしていると、学校の裏門と、その中に、見覚えのある石に囲まれた植え込み。通学していた頃には像が立っていた場所だが、倒れて撤去されたことは随分前に聞いていた。

表側から学校を見たいようにも思ったが、移動すると国道に出た。それは、通学路ではなかったが、その頃の自宅の目の前を通る道。行くかどうか少し迷ったが、向かってみた。

道の案内標識で気づき、立ち止まって見ると、住んでいた頃の敷地は変わらないようだったが、聞いた通りに記憶の建物はなく、記憶と関係ない店があった。

懐かしいとも残念とも、特に感動はないが、その土地の日常は続いているのだな、と穏やかながら複雑な感覚になったバーチャルな里帰りだった。
ただ、リアルに行くには物理的に遠い、父方の祖父母のお墓にも近づけるのだろうかと、何となく思いながら短い里帰りを終了した。

不意に過去の記憶をつついた後に読んだせいか、どことなく平静さを欠いた読書中。

子どもの習い事の先生が、お父様を亡くしたと電話があった。本の中だけではなく、日常と死の近さを改めて感じる。