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暑かったので、うだうだ考えた

昨日は何だかやる気ない日。起きていても、余計なことを考えるかチョコを食べるか… 何にしても、ろくなことにならない感じだった。
なので、仕事以外は無理にでもひたすら眠った。
今日は平常だと思う。

何を考えていたかというと…
そもそもの始まりは、直近の読書。
生き物の不思議についての面白い本だったのだが、余計なことを考えてしまった。

「私は欠陥品だな」と。
笑っていられるような感想だったのだが、うだうだしているうちに、自己肯定感を下げる勢いになってしまった。


ヒトも動物。
その二つに、上下も優劣も感じない。
ヒトの現状は、動物の中では独特だと思う程度。

ヒトという動物が元々持っていた本能は、別な用事や興味に紛れて減っているのではないかと感じている。本能と表現されてきたものとは関係なく、別な進化もあるのだろうと思う。

そんな感覚で読み始めた本だったが、モテて自分の子を残したいという、動物の本能の強さに圧倒される感じもあった。

そんな本能の欠片もない私は、「ごめん。欠陥品だったみたい」と思いながら笑っていた。

そのうちに…
「じゃあ、ヒトは? 何を考えてるんだろう」
と、私はどことなく不安になってきた。


読後の週末、美容室へ行った。
とてもシャープな印象に仕上げてもらえて驚いた。

スッキリする方向ならやり過ぎも問題ない、ということは普段から伝えているので、毎度スッキリのベリーショートではある。
が、更にシャープに仕上げられる余地があったのか、と驚いた。

日が長くなってからの運動不足で、体力不足が限界を超えていた。
ただ、GWの食べ過ぎの重なりをきっかけに小食になったことで、1kg程度だと思うが体重が落ち、ここのところ動きやすくなってはいた。

体も顔も、少しシャープになっていることに最近、気づいていた。
服のサイズにも、どことなく違和感が大きくなっている。
きっと毎日飲んで4年になる、処方薬の影響もあるのだろうと思う。

服を買い替えるのは面倒なので困るが、変化自体は困ることではない。
それでも、動物らしさというのかヒトらしさというのか女らしさというのか、いろいろとフツーから外れていく方向の体へ、進んでいるような気はしていたところだった。

美容師は、そんな微妙な変化に気づいたからなのか。
そのときのその人に合わせていくプロだな、と感心するところでもある。
エレクトーンも、もっとシャープに弾けるといいな、と思ったりするくらいに満足してはいた。


美容室の翌日は、動物がテーマの展覧会に行ってきた。
もう終わってしまった展覧会、と夫とともに勘違いしていたのだが、余裕で会期中。
そのことに美容室ついでに気づいたので行くことにしたもの。
夫が気にしていた展覧会だった。
興味深く楽しんだ。

「三沢厚彦 ANIMALS/Multi-dimensions」展にて


本にも美容師にも展覧会にも、何の問題もなく満足した。
ただ、私にとってそのタイミングの重なりは良くなかったのかもしれない。
更に余計なことを思い出し、「やっぱり私は欠陥品だな」と考えたりした。


体がシャープになっていくのは、ホルモン療法の処方薬の影響ではないかと感じている。あと1年、飲むことになっている、乳がんの術後の薬。

乳がんの手術により、私の左胸はない。
1度目の手術は部分切除だったが、おそらく取り切れていないという術後の診断。
再建も何も追加することなく、2度目でスッキリ切除した。

全摘は、1度目のときからの私の希望だった。
形状の希望ではなく、部分切除してしまうと、その後1ヶ月間くらいの週5日だったか、毎日のように通院が必要になってしまう。

毎日通う元気があるなら、仕事を辞めたりしていない。
無理だから辞めたのに何を言ってるんだ。
毎日通える訳ないだろう。
と、怒りたくなる治療が待っているのが部分切除だった。

1度目は、全摘は大げさだ、という主治医の判断に納得した。
が、2度目は私は譲らなかった。
主治医も、今なら妥当な判断の範囲だと、全摘の方針に切り替えた。

私は何の躊躇いもなく決めた内容で、家族にも伝えていた。
が、母は驚きとともに考え直しを勧めてきたので、私の方も驚いた。

母は納得しないまま手術日を迎えた。
私は考え直すも何も…
そこにこだわりはないというのに、術後の毎日の通院や追加の再建手術に、手間暇やお金をかけるなんて…
そもそも毎日なんて通えないし…
考える気はさらさらなかった。

母の感覚の方がヘンなんじゃないか…
普通には隠れる場所の見た目を、わざわざ面倒なことをしてまで整えるなんて…
面倒だけでなく、毎日通院なんて無理な方法を勧められるのは、他人事だからじゃないのか…
そんなことを思っていた。

術後、私と義母とで電話する前に、母と義母で電話をしていたらしい。
退院後、義母と電話しているうちに、母の感覚の方がフツーだったらしいと気づいた。

義母は、手術が終わっても納得していない母との会話に困惑したようだった。
それでも、私がフツーに決めたことだと知って安心していた。

私が普段通りの口調だったことにも安心したようだった。そこでようやく、落ち込んでいるんじゃないかとか、そういう心配をしてくれていたらしいことに気づいた。

フツーは落ち込むところなのか?と驚いた。
手術は無事に終わったのに?
なので、質問してみた。

「実際に再建するかとかはともかく、もし胸がなくなったら残念に思いますか」

母の感覚や考えに近いことを感じる返答だった。

手術の方針は、私が後悔するような話でも何でもなかった。
今も何の問題もない。
が、何か動物として間違っているというのか、フツーの感覚から外れた考えと判断だったらしいとは、そのときに感じたことを思い出した。


ヘンな人だな、なんて気持ちの欠片も見せなかった主治医に感謝している。
今も見せないどころか、私がこれまでにかかった精神科医たちより安定感のある対応。
カウンセラーなら、それができなかったら困るだろうが。

比較的最近の診察では、珍しく私が無駄に感じてしまっていた不安から、さりげなく、きっちりと気をそらしてくれた。

自分でもしたことのある方法でもあり、上手く気分を乗せてくれたらしいと、診察終了の数分後には気づいてしまったが、帰宅してからその優しさに泣いた。
そんな主治医だから、今も問題ないと言い切れるのかもしれない。


そんな恵まれた環境にいるヘンな人は、昨日は何だかブルーでビミョーな人だった。
急に暑くなったからだろう。
…ということにしておく。

ビミョーな思考にはまると、楽しかったことまでビミョーな方向へのネタになってしまう。
今日も暑いが、今日はいつものヘンな人。

そんな私には関係なく…
少し前に切り戻した、名前を知らないIKEAの植物からは、せっせと新しい葉が成長している。

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