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#41 自分より相手を大事にする恋って


ぐっと気温が上がって、梅が咲いてきたな。

梅の花の下、ランニングしてきたよ。

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え? 花粉? あー、けっこう周りで騒いでて、オレも少し鼻水、くしゃみも出るか。
でも、自分で認めたら負けだぞ(笑)
まあ、目やにが出てかゆいけど・・いや、オレは花粉症じゃない!(笑)

で、梅。

■ 人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける

紀貫之だ。

歌の前に、シチュエーションが書かれていて、しばらく訪ねていない家に行ったところ、家主に「ずいぶんいらっしゃらなかったですね」と言われて、この歌を詠んだらしい。

人の心は、まあどうかわからないけど、ふるさとにあるあなたの家には、梅の花が昔と同じように香っているんだな。

つまり、家主は貫之が家に来なくなっていたことを「ずいぶんいらっしゃらなかったですね」と皮肉めいたわけだけど、貫之の方は、それに言い訳するのではない。
「相変わらず、梅の花が昔と同じように美しく咲いている」と相手をほめて、家主の皮肉をかわしているんだ。

この歌は、春の歌として古今和歌集に載っているんだが、この入り組んだシチュエーションから想像するに、家主と思っている相手は女性なのではないかという説がある。

昔は、男性が女性の家に通い、歌を作ってアタックする。
でも、それで必ず結婚して一緒に住むかと言うとそうでもなく、男性はまた別の女性のところに行ったりする。

だから、この家主を、女性だと考えると、このシチュエーションが恋愛の一場面になって理解できてくるんだ。


貫之は、「ずいぶんいらっしゃらなかったですね」と口を尖らす女性の言葉を、「相変わらず、梅の花が昔と同じようだ」つまり、今もあなたは美しいねとほめている。

この先は書かれていないけど、貫之がそっとかわしてほめてみせたことを、女性も「まったくもう」と言いつつ受け入れていったのではないかな。


・・え、ああ、そうだな。
こういうきざなやり方を分かる女とわからない女いるよな(笑)
まあ、男も、こういうやりとりできる男は、なかなかいないかも。


そうそう、昔、眞鍋かをりと、お笑い芸人の麒麟・川島明の話があったじゃん、覚えてる?
交際してたけど、破局した二人。

眞鍋かをりは、6月にイエモンの吉井和哉と結婚。
そのとき、川島はツイッターで、こんな和歌を出した。

■  おおわらい 芽吹く祇園の 出番終え とおくの鐘の音 うめ酒で祝う

その後、9月に川島が一般人と結婚を発表。

すると、眞鍋かをりはやはりツイッターでつぶやいた。

■「今日は朝から気分が良くて、どうしてもうめ酒が飲みたかったんだけど、いまはお酒が飲めないから、うめ酢を買ってきてソーダ割りにして飲んでいます^ ^ 蜂蜜入れて、甘〜くしたよ。」

「うめ」という言葉が二人の間で交わされているのが分かるよな。

さわやかな恋の思い出を表すイメージ語になっている。

男女の仲。 
別れることは、悲しいこと、残念なことのように言われがちだ。


でも、この二人は、「うめ」というさわやかな思い出にしたんだろう。


貫之とか、この二人とか、相手のことを大事にしてやりとりできる男女の恋は美しい。
・・なーんちゃって(笑)


・・
つい先週までは、ふっと雪がちらついてた。
なごり雪ってところだ。

■ 汽車を待つ君の横で僕は 時計を気にしてる
  季節外れの雪が降ってる
  「東京で見る雪はこれが最後ね」と
  さみしそうに君がつぶやく

  なごり雪も降るときを知り
  ふざけすぎた季節のあとで
  今春が来て君はきれいになった
  去年よりずっときれいになった


普通さ、好きな人と別れるときって、悲しいとかつらいとか、時には怒り出すやつだっているじゃん。

でも、この歌の主人公の男の子は違うんだよな。
「君はきれいになった」ってほめてるんだ。

星の数ほど恋の歌があるけど、恋ってけっこう自分本位だったりする。
そんな中で、自分より相手を大事にする恋っていうのは、なかなかない。

今でも、けっこう、いろんな世代の人が「なごり雪」って言う、この歌が好きだって言うのは、「君はきれいになった」というところに、恋の美しさを感じ取っているからじゃないのかな。

■ 君が去ったホームに残り 
  落ちてはとける雪を見ていた

  今春が来て君はきれいになった
  去年よりずっときれいになった


え?もう一回聴く?(笑)
聴きながら一杯やるか。

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