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#50 生きている意味がないんだから

もう5月も中盤だ。
今日なんか、帽子かぶらずに外に出てたら、日焼けしてた。
髪薄いからさ、頭皮が心配になるほど(笑)

もう新緑か。
町内会の草取りも本格化だなあ。

時季外れだし、なんか、前も話したような気がするけど。
井上ひさしの自伝的小説に『握手』がある。

井上ひさし自身が、戦後孤児で、仙台のキリスト教修道院で養われていた経歴がある。
その戦災孤児の「わたし」が、成人した頃、当時自分の面倒を見てくれていたルロイ修道士から呼び出された。
その再会の場面から、この小説は始まる。

■ 上野公園に古くからある西洋料理店へ、ルロイ修道士は時間どおりにやって来た。桜の花はもうとうに散って、葉桜にはまだ間があって、そのうえ動物園はお休みで、店の中は気の毒になるぐらいすいている。


ルロイ修道士は日本語が流暢だが、そもそも外国人。
少年期の「わたし」はびびって彼に接している。
彼の視線は、ルロイ修道士のでっかい手をいつも見つめている。

■ 風呂敷包みを抱えて園長室に入っていったわたしを、ルロイ修道士は机越しに握手で迎えて、
 「ただいまから、ここがあなたの家です。もう、なんの心配もいりませんよ。」
と言ってくれたが、彼の握力は万力よりも強く、しかも腕を勢いよく上下させるものだから、こっちの肘が机の上に立ててあった聖人伝にぶつかって、腕がしびれた。

そんな出会いの場面から始まり、いつも優しいルロイ修道士だが、戦災孤児たちは、いつか自分たちを売りに出すんだろう的に思っている。
そう思うのだが、そんな噂とは裏腹に、ルロイ修道士は子どもたちのために畑を耕す。

■ 園長でありながら、ルロイ修道士は訪問客との会見やデスクワークを避けていた。たいていは裏の畑や鶏舎にいて、子供たちの食料を作ることに精を出していた。そのために、彼の手はいつも汚れており、てのひらは樫の板でも張ったように固かった。そこで、あの頃のルロイ修道士の汚いてのひらは、擦り合わせるたびにギチギチと鳴ったものだった。


掌が「ギチギチ」というぐらい、泥にまみれながら、子どもたちのために生きていた姿を、子どもの「わたし」は目に焼き付けていた。


そんな思い出をたどるうちに、大人の「わたし」はルロイ修道士の異変に気付く。
彼は、何かの病気であって、かつての教え子に、最後のいとまごいに会って回っていたのだった。

大人になってから、「ああ、あのとき父ちゃんは、こう思ったから、ああやったんだな」ってわかるときあるじゃん。
そういう謎解き、そして、子どもだった自分が大人として迎える別れ。
そんな話さ。

・・
たまたま、宮沢賢治の詩集をぱらぱらめくっていたら、えー!って思う詩があったんだ。
宮沢賢治詩集「春と修羅」にある詩だ。

■  春(作品第709番)
  陽が照って 鳥が啼(な)き
  あちこちの楢(なら)の林もけむるとき
  ぎちぎちと鳴る 汚い掌(てのひら)を
  おれは これから もつことになる

勘がいいお前はすぐわかるよな。
「ぎちぎちと鳴る 汚い掌」
井上ひさしは、絶対、この詩を見てたはずだ。

宮沢賢治自身、当時、東北の不毛な地で、農業指導をしながら創作をしていた。
そんな中での作品。
井上ひさしは、宮沢賢治のそんな姿と、自分がお世話になった修道院の先生を重ね合わせて「ルロイ修道士」というキャラクターを作ったんだろうな。


・・
オレが心酔する人の1人で、武田邦彦さんの名言がこれ。

■ 男は50歳過ぎたら生きてる価値がない

仕事に生きても、若い人に明け渡す。
そもそも、子作りする能力もなくなる。
50過ぎた男は、生きていても何の役にも立たない。
だから、武田さんは、生きている意味がないんだから、

■ 人のため、社会のために生きるしかない

ということが言いたいわけさ。

ルロイ修道士は、もしかしたら、若かったかもしれない。
でも、イメージとしては、子どもために尽くして人生を終わる感じだ。
ぞれでも、子どもために尽くした、それを表す言葉が

■ ぎちぎち

なんだ。
草取りをするときも、ちょっとそんなことが頭をよぎって、手が汚れることが嬉しかったりする。
どうせまた生えてくる雑草だけど、それでも、今生きている自分の時間を使って無駄な草取りをする。
まさに、意味のない人生(笑)
だけど、そんな無駄な時間の積み重ねで、草取りがされるように、社会が動いたりしているわけだ。

・・
あー、なんか、オレの広いオデコが日焼けでジンジンする(笑)
シーブリーズふって、アイスノンで冷やそうか。
なんか馬鹿っぽいな(爆笑)

いーんだよ。
馬鹿っぽい歌聴こうか。
サザンの「勝手にシンドバッド」

■ 砂交じりの茅ケ崎 人の波も消えて
  夏の日の思いでは ちょっと瞳の中に消えたほどに
  それにしても涙が 止まらないどうしよう
  うぶな女みたいに ちょっと今夜は熱く胸こがす

  さっきまで俺一人あんた思い出してたとき
  シャイなハートにルージュの色がただ浮かぶ
  好きにならずにいられない お目にかかれて

  今何時 そうねだいたいね
  今何時 ちょっと待ってて
  今何時 まだはやい

  不思議なものねアンタを見れば
  胸騒ぎの腰つき

50代の男の人生に意味がないように、そもそも恋愛にも意味なんてないんじゃないかな。なんかストーリー作って出会えたように思っているけど、要は、そこに男と女がいただけの話(笑)

意味がそもそもないんだから、その目の前のことに集中しているだけなんだろうな。
深く考えてもしかたがないって思う。
そういうめぐりあわせだった。
そこに、意味を考えるのが、人間らしさなんだろうけどな。

・・
おい、今日はいい酒入ったんだ。
日本酒だけど、口当たりだけじゃなく、のどの奥にもいい感じで残る酒。
飲んでみるか?

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