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68歳note、始めたきっかけー1

68歳、入社348日目。
 休み。今日は、娘の参観日。高速を使って1時間半の寄宿生活中の高校生の娘に会いに行く。先日は、止められて警告で済んだが今日はキップを切られた。高速を降りて山の中に入り込んでいく道の直線の橋の手前だった。先日の警告は神様の忠告だったのか。にしても最近やけにパトカーを見かけるようになった。「ナンチャラ週間」なのか、それとも県警のお偉いさんが替わったからか、ま~ぁいい。

 そもそもnoteを始めようと思って始めだしたきっかけは、長い通勤時間に関係がある。この長い通勤時間、当初は凄く迷った。長い時間眠らずに運転が出来るだろうか、特に帰り。しかも、通勤時間は無駄だ。人生の内、2.5/24時間は、車の運転、そんな人生は嫌だ。しかし、娘を大学に通わせてやりたい。シルバーの手取りじゃやってけない。他に68歳じゃ、前々職の経験をこの田舎で活かす就職は難しい。雇ってくれた。それだけは本当にありがたい。なので考え方を変えてみることにした。車も貸し与えられ、ガソリンも会社の経費、68歳にしては恵まれた採用条件。今時、その2時間半を勉強などに充てることも出来る。そう考えることにした。給料はそれほどでもないが、前々職のスキルを活かせるので自信を持って仕事に臨める。挑戦する事が好きな性格が必然的に前向きに向かう方向へと目を向けてしまっていた。

 そもそもこれまで会社員として給料をもらった経験は、若いころの数年しかない。あることがきっかけでフリーランスになったが、それだって会社勤めが出来ないからだったと考えている。だが長い人生経験で得た社会通念への理解も出来るようになっていた。長い通勤時間を利用して英語の習得とか、本の読み聞かせでも聞きながら楽しもうかと考えるとなんだかわくわくしていた。「YOUTUBE」にスピーカーを繋いでみた。最初は、無理せず趣味のスピリチュアルの番組や、歴史、都市伝説の番組を聞きながら通勤していた。

 15年間肉体労働をしながら目指したビジネス樹立の新しい人生を歩んでいたが、毎年チャンスが遠のいていくのを感じていた。今回は、リスキルからのリスキルにはなる。前々職は、都内でのフリーランスなので営業っちゃ営業だが、スキル優先の先生扱いされる仕事だったし、仕事は断るほど舞い込んでいた。値上げも問題なく毎年行えたし、1千万円の契約を掛け持ちしていた時期もあった。なので、ブランド戦略や付加価値創造、プランニングには傍で意見を聞かれる程度ではあった。
 「私は外部のクリエーターなので、ブランド戦略会議に必要ありますか?」
 「あなた、仕事が断るほど舞い込んでいるでしょ。しかも掛け持ちも出来てるでしょ。それは、ブランド戦略の成功を意味していますよ。」
 ある社長にそう言われた事がある。確かに私は、人がやらないある方法を意図的にとっていた。それは、セルフプロモーションであり、技術あってのプロモーションだ。人を束ねて、大きな資本を掛けてやるブランド戦略とは違う。自ら率先してブランド構築、それは出来ない。しかし、この会社は、今必要だと思える。それを期待されてもいる。

 結局この2時間半は、ビジネスパーソンの話を聞きながら少しでも、採用を決めてくれた会社の期待に答えたいと考えるようになった。「YOUTUBE」は、あるテーマを聞き始めると次から次へと番組を紹介してくれるのは皆さん経験あるでしょう。情報は盗まれ続けていますよね。それがネット社会。「ピボット」という番組を連日往復の2時間半聴取するようになった。これが素晴らしい。田舎の事でもあり友達もいない私にとっては最高の耳から入るビジネスの情報だった。しかも最先端である。その後もいろいろな趣味の番組や、政治の話、スピリチュアルな話、都市伝説など織り交ぜながら、2時間半聞き続けた。戻ってからも気になった番組は、テレビ画面につないで寝るまで聞き続けた。本もいくつか購入した。シートに固定されているので勉強には最適だった。実際、勤め始めてすぐのころに、先輩の「馬鹿な若造」、失礼「ちょっと抜け抜けな若造」に、
 「DXってどう思います。」って、聞かれたときに。
 外貨投資の話かと思って、
 「全然知りませんね。」と、答えていた。
 肉体労働15年の田舎暮らしの馬鹿な親父の知識はこんなものです。
 半年間、「延反」というきつい仕事をさせてもらったが、それが今となってはとても良かった。この勉強の時間に充てられたのだ。一日立ちっぱなし。休憩は8時から12時までは無し。午後は、3時に一度10分。
 「大丈夫?」と、私を誘った社長夫人様。
 「全然平気ですよ。」
 「凄いわよね。」
 実は、違っていた。毎日、ふらふらになって帰宅。食事もそこそこに寝込んでしまう日々だった。しかし、それをやりぬいたおかげで、腰の痛みや、膝の痛みもなくなり、体重が10kg落ちた。着られなかった服も着られるようになった。健康になった。今の厳しい営業にも耐えられているのはその半年のおかげだと思う。もう一つ、その単純作業の期間で「YOUTUBE」勉強の積み重ねができ、前々職の感覚が取り戻せていた。都内のあの激しく厳しいビジネス戦争の感じ。潰れては、出来るブランドの山山。生き馬の目を抜く戦場のピリピリした感じは、なぜか懐かしい。それを嫌って田舎に戻ったのだが、私にはこれが合っていたのだろうか。
 始めようと思って始めたきっかけは、
 「望月りんです。」
 「Pivot」
 「ピッパの法則」
 「YOUTUBE」のおかげです。

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