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「1984年」は手引書じゃないんだよ

このところ、アメリカでHypocrite(偽善者)という言葉をよく目や耳にする。 多様性を認めることの大切さを謳いながら、異なる意見は糾弾する。
自由の国と自負しながら、SNSで個人の意見が検閲される。
事実のみを伝え受け取り方は国民に委ねるべきニュースメディアが政治的に偏っていて、自分たちに都合の良いことしか報道しない。そんなところが偽善的だと言っているのだと思う。

そんな現代社会を皮肉ったジョークが書かれているTシャツが売られているのを見た。『1984 Was Not Supposed To Be An Instruction Manual』(1984は取扱説明書・手引書とは想定されていなかったよ)の文字入り。

1984とは勿論、オーウェルの有名なフィクション「一九八四年」のこと。

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物語の中の1984年は希望の無い世界。人々は大きな機械の歯車のように自分に与えられた仕事をし、党の言うことを信じ決して歯向かわない。心の中でさえも歯向わないようにする。党に反する行為をすれば、またはしていなくてもそう見えれば家族でも告発し、それが正義だと信じている。主人公のウィンストンは恋人のジュリア、そして党中枢委員のオブライエンと党の打倒を目指すのだが...。

気が滅入るので落ち込んでいる時には読まないほうがいいかも。
それでもこの本は現代の社会について考えるきっかけになる。実際、今現在この小説のような国も世界にはあるわけで、そこの人たちは自分たちの社会についてどう感じているのだろうか。私は自分の在住国や母国がそんな風にならないといいなと思う。「一九八四年」が手引書にならず、永遠にフィクションのままでありますように。



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