短パンのポケットで1年間眠ってた100円玉と期末試験の振り返り

梅雨が開けるのと同じタイミングで、
期末試験の答え合わせを終えて、
今日の日曜日は蝉の声と夏の空と雲と、刺すような日差しのド夏日。
気温よりもココロの開放感コーデって感覚で
去年の夏にレギュラー張ってた短パンを引っ張り出して
履いてみると、
そのポケットに100円玉が1枚いました。

去年の夏にコイツに世話になったあと
洗濯機に投げ入れたときに入ってた100円玉は、
グルんグルんに回されるわ、
物干しにぶら下げられるわ、
畳まれてクローゼットの引き出しに入れられるまで

気づかれずにいよいよ1年ぶりにお金としての役割を果たす時が来た。
そんなタイミングなんだろうなぁ。
なんて思いながら、

(子供の頃だったらこの100円玉にめっちゃ喜んでただろうな)
って思ったり
(今それぽとこの100円を喜ばない感覚ってどうなのかな?)
って問いかけてみたりしながら、
財布の小銭入れんとこにチャリって入れたら、
もうその100円玉の存在感なんかゼロで、
1年間も監禁してたのに、
ご挨拶もちゃんと済ませてないのに、
その他大勢の1人になっちった。。

今の自分にとっての100円の価値ってこれくらいだな。
って理解をする。

ただ、この100円がなかったら欲しいものが買えない。
って事態だって考えられるから、
お金ってのは1円でも10円でもお金はお金なのであって、
その価値に対しての敬意を持つべきだ!
とかって、格好つけるウザい自分もいるのはいる。

思い返せば、
タバコ買う金がなくで、仕方なく灰皿の揉み消したタバコの中からなんとなく生命力を残してるようなやつを探して、
指でひん曲がってるのを丁寧に伸ばして、
鼻毛に火がつきそうな距離感でライターで火をつけて吸う。
なんてことを数十年前にはしてたあの時も
持ち金は0円じゃなくて、
170円くらい。
当時のハイライトは200円。
いつもだったら、どうでも良い30円が足らないから、
タバコは買えずにシケモク。

(なんてことあったよね。キミ。)

って、もう1人の自分が100円玉の価値について更にうるさい。

うるさいんですけど、
そう、うるさく言われてみると、

いきなり期末試験の話なんですけどね。
ワタシなりの評価としたら、
完全に◎
○でも二重なほうで、
ひらひら付けて(花)にして良いくらい。
なんですけど、、

100点は1科目もない。
言い換えればどの科目も数問の間違いがあり、
わからないことがある。
ってこと。

これがもしお金の話だとしたなら、
欲しいものが買えない。
ってことと同じかな?
いや、同じというより、
医療者が誤った知識で何かを施したら、
買えないとかで自分が手に出来ないってだけじゃなくて、
誰かに迷惑をかけるってことにもなるってことなんじゃない?

ま、試験ってのだから良いよね。
でも、それが実践に移されたときに、
100円玉の価値と同じように、
1問の価値ってのもあるっちゃあるよね?
ないことないよね?

って、

うるさい(^^)

で、今の今。
短パンを履いてる日曜日の真昼間。
夕飯何にしようかな?
何時から飲んじゃおうかな?
って考えるのと並行して考えるのは、

(だからって100点にこだわるのってどう??)
(だからって、1円、10円にこだわってるのもどう??)

に対する答えは、

(ん。誰かに助けてもらお)
つまてことかなと。

足りなかったら借りる。
で、ちゃんと返す。お礼も添えて。
わからなかったら、教えてもらう。
で、ちゃんと返す。お礼も添えて。
間違っちゃったら、謝る。
で、ちゃんと返す。お礼も添えて。

そういう人と人との繋がりを作ってくための修行みたいなのが、
100円玉にこだわってみたり、
1問にこだわってみたり、
ってことなのかなぁ。

なんてことで、
短パンの開放感に戻りつつ、
ちょいと短くはなったものの夏休みという
時間をどう過ごすのか?

ぼんやり考えてみるといたします。


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