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2021年夏。コロナ禍に思う事、それから悩み

書くことは私の生にとって、大切な部分である。書くことが好きだ。自分の文が好きだ。文を書く自分が好きだ。自分の文を待ってくれる人、褒めてくれる人が好きだ。ありがたいことに、私の文を待ってくれる人がいる。それなのに、書けない。


書きたいことはいっぱいあるけど、書くためのエンジンとなる刺激が足りない。私が書く時というのは、心が動く時。心が動くというのはプラスでもマイナスでもどちらでもいいのだけれど、どちらかに動かないと文字が動かない。心が0の位置でただ擦り減っていくのを感じる。


自粛生活はあまりに張り合いがなくて、心の座標は変わらない。長引く自粛生活の中で、小説を読んだり、詩を読んだり、音楽を聴いたり、映画を見たりするのだけれど、それを自分の中に閉じ込めておくだけではどうしても刺激が足りなくて、その感想を言い合ったり、空気ごと音楽を楽しんだりしないと、心が動かない。


コロナ観を含む価値観のズレから人間関係は変わった。だけどそれも静かに×印がついていくだけであって、別に、もうそれほど心が動かなくなってしまった。ただの疲弊だ。そこにエンジンになるほどの人間模様はない。


逼迫する医療、増える感染者、流れるニュース。自分の生活が破綻してしまわない程度に、感染対策と豊かな生活の均衡点を探しているけれど、やはり今は遊びに行く気にはなれない。


こうしていてはただ心が擦り減って、ろうそくがどんどん短くなって火が消えてしまうように、心から灯が消えてしまう気がする。


そうなる前に、どうにかせねば。
どうすればいいのだろうか。
考えねば。

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