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くも猫、ふわふわ日誌 3-2 水俣曼荼羅

2月23日に熊本市内の名画座「電気館」で原一男監督の「水俣曼荼羅(まんだら)」を見た。熊本にしては珍しく雪が降る寒い日だった。自宅から車で1時間ちょっと。上映時間は6時間とあり覚悟の観劇だった。両肩、腰に使い捨てカイロを貼る。原監督作品は「ゆきゆきて神軍」「全身小説家」を過去に僕は見たことがある。

それらの作品は、ドキュメンタリーの”激しい”映画で、いきなりカメラを抱えて突進!的な場面しか覚えていないので画面が揺れるのは当たり前、今回もじっくり話を聞くだろうから、時に退屈する場面も多かろうと6時間、つまらなくなったら寝るしかないと覚悟していた。先にジョニーデップ主演の映画「MINAMATA」も僕は見ていて、これまでの水俣病問題について「おさらい」したつもりだったし、もちろん原監督にそんな劇的なシーンを期待したらイケナイ。

数年前NHKラジオの「すっぴん」という番組に原監督がインタビューに出ていて、そのことで「曼荼羅」の映画の事を知り「いよいよ来たな」とわくわくしたのけど、原監督が言うには「水銀で汚染された水俣の干拓地から、海に水銀が漏れている」「地元の人に聞いたらすぐわかる」と言う発言に、僕は半分驚き、そんなこと言えばまた水俣の魚が売れなくなる、そんな無責任な発言で風評被害となるではないかと思った。しかも「すっぴん」は全国放送なのだった。(放送後、クレームが殺到したに違いないと僕は思った。)

水俣病問題について「おさらい映画」ジョニーの「MINAMATA」は、ユージンスミスの伝記物語で、(地元ロケはせいぜい3日くらいではないか) 水俣病に苦しむ人々は写真に撮られるのを嫌い、それでもユージンスミスの熱意にほだされ、最後のシーンは病に侵された胎児性の娘を風呂場で抱きかかえる母親の美しい撮影シーンで終わる。

映画のシーンで、ユージンスミスは撮影中に暴漢に襲われ大けがを負ったという事を僕は知った。実際、襲われた場所は関東にある「チッソ」の工場の敷地内なのだ。当時の時代背景もあるのだろうが、このネタもついでに映画に付け加えてくれれば良かったのにと思うが (あと1時間プラス)、口封じにお金を渡すチッソ社長も外道だし、患者のデモ隊に平気でやくざ、右翼をまぎれこませる犯罪手法はどこかの独裁国家を思わせる。そういう愚行は今も変わらない。ツイッターで執拗なデマ攻撃、メンタル攻撃も加わるけど。

「水俣曼荼羅」を見て最初に驚いたのは監督のカメラがぜんぜんぶれていない事だった。ユージンがようやく撮影させてもらった患者さんは、原監督の前では、どんと据えられたカメラの前に向かい堂々と気持ちを語るのだ。それだけ監督は信頼されているからなのだろう。出て来る人々は次々とカメラに向かい自己、自分の人生の一部を語り時に深く怒る。撮影期間はおよそ20年。原監督も逃げはしないし、患者や支援者も逃げやしないのだな。6時間、3部構成の映画に僕は眠らされるどころか、あっという間に上映は終わった。こんな映画はどこにもないのだ。

我が熊本では「水俣病は終わった」という風潮が強い。さらにこの前死んだ政治家 (石原慎太郎) が環境庁長官時の「ニセ患者」のデマが悲しいことに根付いてしまっている。勉強不足の僕も、恥ずかしいことだが、何故患者の申請が却下されるのか理由が分からなかった。水俣病を終わらせてくれないのは今の県知事、国の責任なんだ。

前、noteでも書いたけど、天草の入口に住む僕の幼い時の暮らしぶりは映画で書かれた場面と同じだった。晩御飯は魚の刺身、煮つけにトマトに豆腐。そのメニューを毎日家族で食べるのだ。僕は「目が良くなるけん」と毎晩、魚の目玉を一番に橋でつままれ食べさせられた。

粗末な垣根を挟んで裏の河口さん家族も同じ料理だった。漁師の河口さんの老いた母は気が付くと髪が伸び放題、顔も真っ赤に焼け、浴衣姿で体を斜めに傾け足を引きずりながら路地をうろついていた。痛み止めなのか焼酎を飲みいつも上機嫌だった。僕が高校になる頃、河口さん一家は突然町からいなくなった。数年前の不審火で焼け落ちるまでその家は空き家のままだった。僕の両足の膝の上の筋肉も20歳過ぎまで時々締め付けられるようにしびれ、痛みが続いていた。

水俣曼荼羅は水俣病に関わる人々の存在が、みんな曼荼羅模様につながっている有様の映画なのだろう。ユージンスミスのような英雄は不在で、一人一人の乗る船が、ともずなで繋がれゆらゆら波間に揺れている姿なのだな。

僕が危惧した水銀は原監督の調査の通り、防波堤の壁のすきまからじわじわと海に漏れ出しているのが証明された。(本来は管理者の熊本県が補修すべきなのだ)

最後の締めは東大の教授上がりの理論派知事、蒲島氏の登場。何しろ熊本人は権威に弱い。東大と聞いた段階で地面にひれ伏す、尊敬する、ゴマをする、無条件にすごいと思う。蒲島氏の言う「県民幸福度」と言う物差しで、県民を幸せにするとの宣言(コロリと騙されもうした…)で彼はすでに長い期間、政権を担っている。そもそも僕は「くまモン」が大嫌いで「かばモン」が連れて来た迷惑な洗脳キャラに24時間苦しんでいる。水俣病に申請するも却下された県民の数は数万人にも上るだろう。熊本県民の「幸福度」はマイナス数万点。
(「かばモン」あんたには逆立ちしても解決無理だよ。逆立ちしたら「ばかモン」になるからね)

僕はぼんやり思い出す。「ゆきゆきて神軍」の主人公、神軍平等兵「奥崎」氏が、戦時中に奥崎氏たちを苛め抜いた上官の実家を探し当て、その上官の家に乗り込むとモモヒキを履いた、どこでもいそうな気弱なじいさんが命乞いをしている姿を追いつめるシーンを思い出す。その上官が「当時やむを得なかった上からの命令だ」と逃げまわる姿は哀れでしかない。こんな無能な奴等のせいで多くの二等兵は密林の中で人肉をくらい、餓死、戦死した。

あと数年後「かばモン」が退任した時、水俣病の患者から行政責任を問われた時、「やむを得なかった。私は法廷受託事務執行者で、国に責任があります、赦してください」と責任回避、退職金で買った広い家を逃げ回るのだろうな。

今回、地元の民放はともかくNHKは大健闘。なんと10分近く夕方のニュースで水俣曼荼羅を取り上げ原監督のインタビューを流した。立派!

人の話を聞くのは相当長い時間が必要なのだろう。撮影者の都合に合わせてスラスラ喋れたらそれは事前に用意された嘘なのだ。「尺が足らなくて当然」なのに一言で分かりやすく答えを出さそうとするマスコミ、タレントはすでに予定稿に従い、人の時間をコマにまとめ上げるのだろう。これで一丁上がり。

登場人物の一人「生駒」さんが、自分の船にペンキを塗るシーンがある。刷毛を手にし、丁寧に丁寧に震える手で船を白く塗る。どれだけの時間がかかったのだろうか。その時間に付き合わないと生駒さんの言葉は出てこない。生駒さんの時間に尺はない。

水俣曼荼羅を見て水俣病について「分かったふり」をするのも「尺が足りない」人と同類だし、生駒さんの刷毛を塗るペース、水俣湾の入り江に打ち寄せる波の繰り返す景色を思い出しながら、悶え神様、僕も悶えます。


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