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第13節 友情∞ 無限大――目眩まし

 
「はぁっ、はぁっ……。」
 ステンノのもとに辿り着いた頃には、直輝の白く平たい背中は汗でつやめいていた。
「あらあら。あの子を置いて一人で私に会いに来るだなんて。あなた、本当は私のことが好きなんじゃないかしら?」
「……はぁっ、はぁっ。そうですね。操られることはないのに、貴方の魅了が全く効いてないわけではないってことは……。すぅぅー、はぁっ……。貴方のことを魅力的だと思ってるってことでしょうね。」
「……、うふふ。あなた。もしかして、私のことを口説きに来たのかしら?」
「いえ、ごめんなさい。俺なんかに口説かれてくれる女性なんていないので、逆に大胆になってしまいました。申し訳ないです。」
「うふふっ、おかしな人。それで? そんな軽口をたたくために来たわけではないのでしょう?」
「はい。軽口のつもりはありませんが。えっと。まず、彼らを止めて頂けませんか。」
「……うふふふ。あなた、それを言うためにわざわざここまで来たのかしら?」
「はい。それだけではありませんが。」
「本当におかしな人ね。わかったわ。……なんて言って、私が彼らを止めるとでも思っているのかしら?」
「思ってません。だから、お願いしに来ました。――お願いします。彼らを止めて下さいませんか。」
 直輝は深く頭を下げて、お願いをした。
「……嫌よ。絶対に嫌。だってそんなの、つまらないじゃない」
 直輝はステンノの言葉に顔を上げ、今度は真っ直ぐに目を見つめる。
「じゃあ、目的を教えては頂けませんか。私は出来れば貴方と戦いたくないんです。一時的にでも、協力できるのならその方がいいと思っています。」
「……それも嫌。だって、話すことなんて、何もないんですもの」

 ――ステンノの目的。召喚に応じた理由。聖杯にかける願い。
 それは、「ない」。
 強いて言えば、「姉妹三人で永遠に暮らすこと」だが、叶わない願いであると既に知っている。だから、聖杯にかける願いは「ない」。
 そんな、召喚に応じる理由のない、有り得ない現界を果たした彼女の行動原理は至極単純明快だ。「楽しい」か、ただそれだけ。それだけのはずだった。
 しかし、特殊な状況下での召喚により霊基にこびりついた強烈な感情が、「楽しい」の対をなすような不快な感情が、それに少しだけ影響を及ぼしている。しかし、対であるならば、基本的な行動原理そのものには大差がないと言えるだろう。結局は「楽しい」か「楽しくない」かの二択なのだから。
 だから、彼女はただ、心の赴くままに行動する。
 ただ、「楽しい」を求めて――。

「でも、せっかく来てくださったんですもの。ただで帰したりはしないわ。セレーネ・プリズム・パワーでメイクアップした私が、ギリシャの月にかわっておしおきよ」
 そう言うなり、ステンノはパープルセレーネスティックを手に駆け出した。
 そして、直輝の目の前までやってくるとそのステッキを勢いよく振り下ろす。
「えいっ!」
 直輝の肩に打ち下ろされたそれは、確かに人並外れた威力の攻撃であったが、それでもブーディカの攻撃に比べれば格段に威力の劣るものだった。
「えいっ! えいっ!」
「……こぉー。」
 直輝はステンノの攻撃を受け止めながら強く息を吐き、一瞬ひるんだステンノの顎目掛けて手の平を打ち出す。
「うっ! ……いったぁい」
 直輝の攻撃はわずかにステンノにも通用した。サーヴァントである彼女にも、確かに効いていた。

 ――ステンノは弱かった。
 一介の人間に過ぎない直輝でも、UMDや魔術機器に頼っているとはいえ、なんとか食らいつける程度の戦闘能力しか有していなかった。
 それは、単純に魔力供給が十分ではないために、十全に力を揮えていないというだけではない。
 女神であるステンノは元々、か弱い乙女としての男の理想が具現化した存在であり、庇護される対象であるため、彼女自身は非常に弱く脆い。戦わせるためにばれるサーヴァントとして現界していることや、神秘の通わない攻撃が通用しないというサーヴァントの性質も手伝って、元々の彼女よりはいくらか丈夫になっているものの、やはり「弱い」ことが本質である彼女は「弱い」のである。
 もちろん、単純な武力と武力での戦闘に限っての話ではあるが。

「ふっ!」
 さらに、繰り出される手の平をステンノは飛び退いてかわすと、ウサギを思わせる可愛らしい振る舞いで距離を詰めステッキを振り下ろす。
「……ふぅー。」
「あらあら。近くで見ると、随分と辛そうね。肌は綺麗なままだけど、効いていないわけじゃないのかしら?」
「……ふっ!」
「きゃっ! ……私の質問に暴力で返すだなんて、無粋な人ねぇ……」
「ごめんなさい。……ふっ!」
 直輝の手の平をステッキでギリギリ受け止め、ステンノが微笑む。
「ふふふ、そこは謝るのね。本当にあなたっておかしい人。殺してしまうのが惜しいわ……」
 そう言いながらも、ステンノは攻撃の手を緩めない。とはいえ、単なるステッキの殴打は直輝にとって致命傷になり得ない。
「うふふふ、楽しいわ。楽しいわ。とーってもね」
 そう言いながら、ステンノはステッキを振るい、手の平を食らい、そうかと思えばかわしてふわり、舞い踊るように戦った。
「あぁ……、なんて不思議で奇妙な体験でしょう」
 恍惚とした声が口づけのように空気を感じさせる。
 魅了した男たちを使ってではなく、変貌した末妹メドゥーサに取りこまれてでもなく、ステンノの身と心でステンノが戦うという初めての経験に、彼女は未知なる愉悦を感じていた。
「はぁ……、はぁ……。」
 そんな彼女を前にして、直輝の息は上がっていた。
「うふふ……。ふぅ、ふぅ……。いいわ。ふふ、ふぅ……。いいわ。うふふふふ……、ふぅ、ふぅ……」
 しかしそれは、ステンノも同じだった。
 二人はともに激しく武器を交え、息を切らし、消耗していた。
「ねえ、あなた。私をこんなにも楽しませてくれたあなた。お名前は?」
「……木村、直輝です。貴方は?」
「私? 私は……、愛と欲望のセーラー服美少女女神。セーラーセレーネ! ……」
「セーラー……、セレーネ……。」
「ええ。今の私は、戦う女神。セーラーセレーネ。さあ、とっても名残惜しいけれど、楽しい時間はそろそろおしまいにしましょう。私、この楽しさに飽きてしまう前に、とびきりの勝利を手に入れたいの」
 そう言うと、ステンノはパープルセレーネスティックを天高く掲げた。
「――!」
 目を見開く直輝に向けて、そのステッキが振り下ろされる。
「パープル シュガー ハート アターッック!」
 ステッキの先から淡いバイオレットのハートがいくつもあふれるように飛び出し、直輝に向かって飛んでいく。
「!」
 かわそうと思った直輝だったが、いくつものハートがよける間もなく飛んできて、直輝の体に当たってはじけた。
「…………。」
 ハートの集中攻撃を受けた直輝は、無傷のまま、無言で、立っていた。
 ゆっくりと直輝の右手が額に向かって伸びていき、ぐっと抑えるように包み込む。もう片方の手も、薄い胸板を掴むように抑える。
「ぁぁ……! はぁーっ……!」
 苦しそうな無声音をもらし、息をもらし、眉間を中指でぐっと押すようにさすると、直輝は射るような視線をステンノへ向けた。
「……あなた。これも耐えてしまうのね」
 ステンノは息を吐き出すようにそう言ったかと思うと、ふらりとよろめいて、そのまま地面に倒れた。
「トリック……オア……トリート……」
 ステンノのか細い声が、すぐそこの地面にまで届いて消える。
 遠くで奮闘するステンノの男たちに、その声は届かない。
「……ふふ。……私が、……男に困る時が来るだなんて。……おかしいわ。とっても、おかしいわ……」
 彼女のかすんだ視界の先で、彼女の命令に従い戦う男たち。
 きっかけは女神の力にしろ、魔性の力にしろ、美貌の力にしろ。少なくとも今この瞬間、心の底から湧き上がる愛おしいという衝動に全てを支配され戦う男たちの、その衝動は本物だった。
 彼らは正気を失ってなお、本気で人間らしく愛に溺れて戦っていた。その様は正気の第三者から見れば、単なる傀儡かいらいちた哀れな者たちでしかないかもしれない。その戦う理由は幻想で、偽物で、嘘っぱちに見えるかもしれない。
 だがしかし、愛は目眩ましラブ・イズ・ブラインド。主観しか知らない人間は、感じているものだけが全てであり、たとえそれが間違いでも、感じているということだけはどうしようもなく真実である。
 例え、そんなものが愛だなどとは信じたくもなくとも、そんな愛も確かにあるのだ。例えば、今ここに。
 他人ひとからすればどんなにくだらなくても、熱く速く響く鼓動に嘘偽りはない。
 そして、そんな愛と相対してマシュが苦戦しているというのもまた事実だった。
「くっ! ……お願い、効いて!」
 何度目だろうか。マシュが峰のない盾で峰打ちをする。
「うっ! はぁっ……! ぁぁぁっ……!」
 受けた男が地面に膝をつき、手をついて喘ぎを吐き出した。
「――!?」
 今まで苦痛を見せることのなかった男たちが、初めて痛みの表情を見せたのだ。
「これは……。――はっ! ふっ!」
 マシュが盾を器用に操り、苦痛を強く感じる部位を的確に手加減して攻めていく。
「うぅっ!」
「くぅぅっ……!」
「はぁっ……!」
 男たちが次々と苦痛で動きを止め、膝をつき、戦えなくなっていく。
 ステンノが大技を放ち消耗したことで、魅了の効力が弱まり、今までは強い洗脳によって痛覚まで麻痺していた男たちが痛みで怯むようになったのだ。
 あっという間にマシュを襲う男たちの数が減っていく。既に直輝の前でステンノが倒れていることも把握していたマシュには、やっと一筋の光明が見えていた。
「これなら……」
 マシュがそうつぶやいた時、男の一人が口を開いた。
「……え」
「――?」
 強い苦痛を受け地に伏したことで、洗脳により鈍った頭で、男は自身の敗北を自覚した。そして、愛ゆえに戦っていた者が、散り際に見たいと願うものといえば、決まっているだろう。
 ――それは、愛する者。
「……」
 そして、倒れた男が、男たちが見たものは、自分と同じく地面に倒れた、愛する者の姿だった。ステンノの、セーラーセレーネの姿だった。
「……えぇ」
「えー……」
「がっ……んえぇー……」
「なっ……? これは、いったい……?」
 かすかな恐怖さえいだき目を見張るマシュの前で、苦痛に倒れていながらも男たちは声を絞り出す。
「えぇぇぇー!」
「がっ、がっ、がんばえー!」
「がんばえー! せーあー……」
「がんばえー! せーあーせえーねぇ……」
「がんばえー! せーあーせえーねー!」

――がんばえー! せーあーせえーねー!――

 その声は、確かに。
 確かに、彼女に届いた。
「……私を、……応援しているの?」
 ステンノが、目を見張る。
――がんばえー! せーあーせえーねー!――
 鳴りやまない声援が、彼女に聞こえてくる。体に、わずかずつだが魔力がみなぎってくる。
「……ふっ。うふふふふ……。おかしいわ。おかしいわ。私を、応援しているの? そんなになってまで、あなたたちは、私を応援してくれるの?」
 ステンノはもちろん、理解していた。それが、自分がエウリュアレ末妹メドゥーサに向ける愛と同じものではないことを。それが、今は亡きマスターが悦子や孫たちに向けていた愛と同じものではないことを。
 それでも、今の彼女には十分だった。
 愛と欲望のセーラー服美少女女神、セーラーセレーネがもう一度だけ立ち上がるのには、十分だった。
「……あぁ。本当に。とってもとても、不思議でおかしな体験だわ」
「……。」
「うふふふふ。たぶん、次で最後の攻撃になるわ。マスターもいない、魔力も十分ではない、こんな状態でこの技を使ってしまったら……、私は消滅してしまう……。
 でも、それでいいの。私には、聖杯に願うことなんてないんだから。聖杯なんて、いらないわ。ただ、今が楽しければそれでいい。どうせ、本当の願いはもう、叶わないのだから。どうせ私は、消えてしまうのだから。ううん。こんな不思議でおかしくて楽しい体験、きっと、もう二度とできないはずだから。
 だから。ねえ、あなた。受け取ってくださる?」
「……。」
「うふふふふ。返事はいらないわ。男の子はシャイだものね。だから、その分、女の子は強いのよ? 私からのあまーいあまーいお菓子とイタズラ、あなたに必ず届けてみせるわ」
 そう言うと強い女ステンノは、右手に握ったパープルセレーネスティックを、左側にいる男たちに向けた。
「いくわよ! 大きいお友達のみなさん!?」
――おぁぁぁぁー! せーあーせえーねー! がんばえー! せーあーせえーねー!――
 今、みんなの力、あわせて!!
 パープルセレーネスティックを、振り抜くように前に向ける。
虹色レインボー・ ∞月心激フレンドムーン・ハートエイク!!」
 大きいお友達の声援が、ステンノに力を与え、みんなの力が無数の光線となって直輝にむかっていく!
「!」
 激しい光の攻撃に、ほとばしる強い光に、公園が満たされ覆いつくされる。
 愛は目眩ましラブ・イズ・ブラインド
 誰も何も見えなくなった――。

     *

「うふ……。うふふふふ……」
 地面に倒れたステンノの目には、直輝がどれほど険しい表情をしているのか、もう見えなった。その苦しそうな息遣いも、よく聞こえなかった。
「あなた……。これも耐えて、しまうのね……」
 ステンノは、セーラーセレーネは、自分を応援してくれた男たちの、大きいお友達の方を見る。
――……――
 みんな力を振り絞って、声の限りステンノに魔力を送ったため、疲れて眠ってしまっていた。それはまるで、遊び疲れた子供たちのようで。
「それも、そうよね……」
 ステンノは呟く。なんだかとても、虚しかった。
 夜空には、真っ二つの月が浮かんでいた。
「……うふ。馬鹿ね、私……」
 キラキラと光の粒が、ステンノの身体から、天を目指すように昇っては消えてゆく。木の天辺にすら届かずに、遊具の天辺にすら届かずに、どこにも届かずに、ただただ消えてゆく。
――ああ、なんでいつもこうなってしまうのかしら。
 私はただ、妹たちと楽しく暮らしたかっただけなのに。
 私はただ、いつもとは違う楽しさを満喫したかっただけなのに。
 私はただ、楽しくすごしたかっただけなのに――
 その瞳には、月も、人も、土も、風も、消えていく自分の輝きさえも、もうここに在る全てが映ってはいなかった。
 その脳裏に、ふとあのマスターの顔が浮かぶ。
 あの優しい声が、ステンノとおそろいのゆっくりとした穏やかな声が聞こえる。
――ねえ、マスター。私を受肉させるんじゃなかったのかしら?
 ねえ、マスター。考え直してみるんじゃなかったのかしら?――
 思考が綻んで、脈絡を失っていく。
――愛していたわ……。エウリュアレ……、メドゥーサ……――
 形のない場所を見つめるような目で、最後に女神は唇を動かした。
「おやすみ……なさい……。よい夢を……」


 
 ―――――――――――――――――――― 
 

AiEnのマテリアルⅡ

ステンノ(AiEn)

 ――AiEnのキャスター?

筋力(E),耐久(E),敏捷(C),魔力(EX),幸運(EX),宝具(?)
女神の神核(EX),復讐者(E-),忘却補正(E-),自己回復(魔力)(C)

セーラーセレーネ(A)
 詳細不明。ハロウィンの霊基によるものか、美少女戦士チックなセーラー服を着ている。月とか髪型とか不死身(長寿)とかギリシャ神話とか石化とか洗脳とか降霊術とか聖杯とか、あの月の戦士と重なる要素が多いとか多くないとか……。

パープルセレーネスティック(B)
 詳細不明。ひ弱な女神でも持てるのでたぶんマジでカルいスティック、略してマジカルスティック。ちなみに、「虹色レインボー・ ∞月心激フレンドムーン・ハートエイク」は宝具ではなくスキルきせきが齎したきせきとかなんとか……。

トリック・オア・ブラッド(EX)
 詳細不明。恐らく“吸血”・“魅惑の美声”・“女神の気まぐれ”などのスキルがハロウィンの霊基によって変質したもの。洗脳も吸血もしてて、全然「オア」じゃないのはご愛嬌。