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第1節 出会いは夏の雨のように

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アバンタイトル |   第2節  






勝利に喜びなどありません。
傷つくのは悲しいことです。
   ――『Fate/Grand Order』より
     清姫(バトル「勝利2」ボイス)




 西暦二〇二〇年八月二四日、月曜日。
 日本。東京都練馬区ねりまく向山こうやま――。
 
 突然、雨が降り出した。
 街灯に照らされた住宅街のアスファルトを、公園の木々を、町全体を、走り抜ける雨足が踏みつけるように激しく叩いた。
 帰路を歩いていたひとりの青年が、目の前の公園に駆け込む。入って二十メートルほど先には、背の低い円柱状の建物がある。両側がトイレで、その間をくぐれるような構造になっている。
 黒無地の半袖Tシャツに黒い六分丈のカーゴパンツを合わせたその青年は、夜空に渦巻く暗雲のような天然の髪を揺らして走った。それらとは対照的にその肌は白く、水が流れ落ちる暗闇で浮いていた。
 青年が背負っていた黒いリュックサックには、ポンチョタイプのレインコートが入っていた。それを羽織るため、彼はしばし公園に屋根を借りる。円柱状のトンネルの天井には、長方形の天窓がいくつも並んでおり、そこから雨が自由に入り込んでいたが、微塵も天井がないよりかはマシだった。
 青年は、男子小学生がよくはいていそうな、ポケットの多いいかにもズボンといった感じのズボンとは裏腹に、今月二十六歳を迎えていた。
 歳が変わっても、日々が変わるわけでもなく、人が変わるわけでもなく、二十六年間連綿と紡がれてきた毎日の先に、些細な変化を織り込んで、日常が編まれてゆく。
「くっ……!」
 突然、青年の意識を少女の声が突いた。それは小さな、日常の綻びを告げる音。
「――?!」
 青年は振り返る。前方のなだらかな草むらに、非日常的な姿の少女がいた。
 青年は目を見開いた。その姿に、見慣れた後姿に、青年は驚いた。
 ピンクがかった白っぽいショートヘア、百五十八センチの身長を超える十字があしらわれた円卓の大盾、黒を基調としたメカニカルな衣装――。
 それは、青年がプレイしているスマートフォン向けゲームアプリ『Fate/Grand Order』に登場するメインヒロイン、マシュ・キリエライトの姿に違いなかった。
「……これ以上は……」
 つぶやいて後ずさりする少女が見据える先、繁茂した木々に隠れた細い道になにかがいる。
「Gi……」
「GiGi……」
 茶色いぼろきれをまとった骸骨の剣士、スケルトンが二体、街灯の下にその姿を現した。
「GAAAAA!」
 さらに三体目――。
「GAAAAA!」
 四体目――。
「GiGi……」
「Gi……」
「Giii……」
「Giiiiiiii!」
「Gi、GAAA!」
 スケルトンは次々に現れ、あっという間に十数体が少女の周りを取り囲む。下手をすれば、奥の細道にもっといるかもしれない。
 スケルトンの大部分は一様に欠けた片刃の剣を持っているが、頭にこれまた一様に矢の刺さった数体は、弓を持って後方に立っている。
 対する少女は一人、既に囲まれ背後もとられている。先ほどの呟きからしても、形勢が不利であることは明白だった。
「……。」
 青年はわずかに思考を巡らせた後、強く息を吐きながら足元に手早くリュックサックとつけていた不織布ふしょくふマスクを置き、レインコートを羽織るどころかTシャツを脱ぎ捨て、新しい空気で満たした肺と激しく鼓動する心臓を胸に残し、屋根の下を飛び出した。
 濡れた草が青年の足を撫でる。強い雨が瞬く間に青年をずぶ濡れにし、黒い運動靴の中の裸足まで水浸しにしていく。
「大丈夫ですか?!」
「!? 貴方は……? ――! いけません!」
 少女が叫ぶ。それに一瞬先だって、青年の目前にいたスケルトンが踏み出していた。
「……。」
 足を止め、手を前に出す青年の首筋辺りに、スケルトンが勢いよく剣を振り下ろす。一瞬にして青年の首は跳ね飛ばされる、ことはなく、その剣はぴたりと止まった。
「!?」
 剣は、まるでそのと青年の首との接触面で加わる力が消失し続けているかのようにぴたりと止まって進まない。
「……申し訳ないのですが、剣を収めて頂けませんか? 出来れば貴方と戦いたくないのですが。お話がしたい。」
「……」
 スケルトンは青年の言葉に答えない。
 青年の首筋に剣を当てたまま力を緩めない。そもそも意思の疎通などできる相手ではない。
「……反撃しますよ。」
 青年はそう言うと、こぉーと音を立てて勢いよく息を吐いた。
「……」
 威嚇を兼ねた深呼吸にもスケルトンは臆さない。ただ、いったん剣をひいて“身構える”。
「ふっ!」
 そこへ青年は勢いよく右手の平を打ち出し、スケルトンの肋骨を突く。
 ――平手打ち!
「……」
 スケルトンは全く動じない、が青年はすぐに切り替えてスケルトンの脇を走り抜け、少女の背後を目指す。弓を持ったスケルトンが矢を放つが、やはり青年の体に当たるとぴたりとその動きは止まり、草むらに落ちた。
 青年は声を張り上げながら、少女の背後にたどり着く。
「ごめんなさい! 私にはダメージを与えられそうにないです! でも、盾にはなれます。
 貴方は、お体は大丈夫ですか? 戦うすべはありますか? 手伝って頂ければありがたいですが、無理はしないで頂きたいです。」
「……えっと、貴方は」
 振り向きながら困惑している少女に、青年は困り顔と笑顔を使い分け優しい口調で、早口ながらも少しでも言葉を聞き入れて貰えるよう尽力する。
「ごめんなさい。今は説明より、この状況をなんとかしたいです。少なくとも今、貴方に危害を加える気はありません。貴方を助けたい。
 動けますか? 出来れば道を作って貴方を逃がしたいです。戦えますか? 手伝って頂ければ、うれしいですが、無理はしないで欲しいです。お願いできますか?」
「……了解しました。わたしも戦えます。後ろを任せてもよろしいでしょうか? 背後を守っていただければ、敵性体、殲滅できます」
「はい。ありがとうございます。……あっと、ただごめんなさい。俺は早く動けません。このままこの場に留まって、向かって来る敵を倒して頂けたらと思うのですが。いいですか?」
「了解です!」
「ごめんなさい。ありがとうございます。」
 微笑んだ青年の足元には、会話をしている間にも放たれていた矢が散らばっていた。また一本、矢が増える。そして――、
「Gii――」
「……来ます!」
「――Gaaa!」
 スケルトンが踏み出し、剣を振るう。少女はそれを前に構えた盾で受け、さらに突撃し攻撃する。スケルトンの体は砕けたかと思うと、まるでゲームのエネミーのように消失した。
「ふっ! ……はっ!」
 金属音と雨の音が、小さな夜の公園に響き渡る。次から次へと襲い来る敵の攻撃を、少女は大きな盾で受け止め、反撃し、確実に一体ずつ倒していく。
「……。」
 その後ろでは、青年がかすかに表情を歪めながらスケルトンの剣を、その細く貧相な身体で受け止めていた。
「ごめんなさい! 数が! これ以上は!」
「! はい!」
 少女は振り返り叫ぶ。
「しゃがんでください!」
「はいっ!」
「……頭上、攻撃します! やーぁあ!」
 青年がしゃがむとほぼ同時に、少女が大きな盾でその頭上をなぎ払い、三体のスケルトンが一気に消失する。
「はっ!」
 少女はすぐに向き直り、背中に迫っていたスケルトンの剣をギリギリ盾で受けとめる。その後ろでは青年が素早く立ち上がり、その額に間一髪で矢が命中する。
「ありがとうございます。」
「いえ。問題ありません。――ふっ! はっ! これなら! やーぁあ!」
 少女は堅実に攻撃を受け止め、確実にスケルトンを倒していく。また一体、また一体、そして三体、また一体。その後の一体を倒し、少女は息をついた。
「はー……。これで、剣を持ったスケルトンは全て消滅しました。残るは、弓を持ったスケルトンが三体です」
 三体のスケルトンは、青年たちを中心に三角形を描くようにして立っている。
「ごめんなさい。俺は早く動けないので、一体ずつ倒して貰えますか。」
「はい。それでは、まずはわたしの前方のスケルトンからいきます」
「わかりました。」
 青年の返事を聞くと、少女はすぐに前へ踏み出した。速足だが、今までの攻防に比べるとかなりゆっくりとした動きで距離を詰めていく。前方のスケルトンはそんな彼女にただ機械的に矢を放つだけで、移動しようとはしない。
 他のスケルトンも特に変わった動きは見せず、少女の背後を守る青年に矢を放つだけだった。まるで、最初から定められている簡単なプログラムをなぞるだけのゲームキャラクターのように。
「……行きます! やーぁあ!」
 少女は声を張り上げて突撃し、目の前のスケルトンを撃破する。
「次、行きます!」
 同じ要領でもう一体のスケルトンを倒すと、少女は最後のスケルトンを見た。
「残り、一体です」
「……はい。」
 周囲を注意深く見まわしてから、青年は答える。
「最後は一気に倒します。……照準、捉えました。突撃します! ここで、確実に……!」
 少女は背中から青白い光を放出させ、推進力を得て斜め上空に飛び上がり、さらなるエネルギー放出で地上のスケルトンへ突撃した。
「……戦闘終了、ですね」
「そうですね。お疲れ様です。大丈夫ですか?」
「はい。わたしは大丈夫です」
「よかったです。そしたら、すぐにここを移動しませんか。人通りのある方が安全かな、と思うので。なんとなくですが。完全に……。」
「了解です」
「それで、その……。その盾を隠したりは、できますか? その服装も、その。できれば……。」
「……やはり、ここはそういう環境なのですね。少し待っていて下さい」
 少女がそう言うと、間もなくその手から盾が見えなくなり、続いて服装が黒いワンピースと白衣という見た目に変わった。いつの間にかゴーグルも眼鏡になっている。それは、青年がゲーム画面で見慣れたマシュの普段着姿に他ならなかった。
「これでどうでしょうか?」
「……ああ、えっと。それなら、大丈夫だと思います。」
「了解です」
「えっと。そしたら、とりあえず、行きましょうか。」
「はい」
 少女の返事を最後に、二人は歩き出した。
 雨はいつの間にかやんでいた。


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