第15節 得手勝手な親和欲求
「……。」
「……」
直輝とマシュは、まだ暗く人気のない道を静かに北上していた。
取り替えたばかりの真っ白な不織布マスクでも、直輝の疲れた表情は隠しきれない。
ネロの姿が消えた後――。
「ランサー、行くぞ……」
「ちょっと、マスター! ――ごめんね。マスター、ああ見えて結構こたえてるんだと思うの。後で必ず連絡させるから。……マシュ、お疲れ様。よく頑張ったね。それじゃあ、またね」
と言い残して、二人は立ち去ってしまった。
直輝たちも、放心状態で地べたに座り込んでいたネロのマスターを残し、すぐにその場を後にした。
午前中に病院へ行く予定があったから、だけではない。
直輝は天然パーマに黒ずくめの服装という特徴的な格好をしているにもかかわらず、コンビニで通報をお願いした後、姿をくらませている。そして、公園にあれだけの負傷した男性が倒れていたとなれば、直輝が重要参考人として捜索されていることは想像に難くない。故に、出来る限り早くあの付近を離れたかったのである。
「木村さん。あの……」
「なんですか。」
そう言って優しい視線を向ける直輝とは対照的に、マシュの顔は陰っていた。
夜道が暗いからではない。月明りでも街灯でも消せない陰の重さに立ち向かって、マシュは胸のもやをたずねた。
「なぜ、木村さんには、セーラーセレーネの魅了が効かなかったのでしょうか?」
マシュのその疑問は、もっともだった。
直輝はマシュにも達也たちにも、自分のUMDを『物理的な刺激であれば気合で耐えられる』のだと思って貰えればまず差し当たって差し支えないと思うという風に説明していた。
しかし、セーラーセレーネあらためステンノの魅了は、『物理的な刺激』というにはどうしたって無理がある。それだけではどう考えても、説明がつかないのである。
「……ごめんなさい。実は俺のUMDは、マシュさんに説明したものだけじゃないんです。」
「つまり、魅了を無効化するUMD……というものが別にあるということですか?」
「はい。まあ、正確には無効にするわけじゃないんですけど……。俺には、最初に説明したUMDの他に、あと二つ、UMDがあります。」
「あと二つ……」
「はい。一つは、“勝手気儘な自己貫決”。セーラーセレーネさんの魅了で操られなかったのは、このUMDの影響です。」
――“勝手気儘な自己貫決”。
このUMDの影響で、直輝は『ヒトの行動や精神などに干渉するUMD、異能力、魔術などによって自身の意思に反して操られない』。
だから直輝はあの時、ステンノの魅了を受けても洗脳されて言いなりになることはなかったのである。それでも、直輝の意思に反しない範囲内で魅了を受けていたため、ステンノに微笑みかけられる度に不思議なくらい魅力を感じてしまっていたのだ。
ただ、このUMDによって操られない範囲の定義は非常に曖昧で不安定である。
例えば、ある男性がある女性から一夜の関係を迫られたとして、それに応じるかどうかは、彼の元々の性格や考え方による部分が大きいだろうが、その時の心理状態や体調、状況など無数の条件にもまた大きく左右されることだろう。
同じ人間でも、同じ事柄に対していつも必ず同じ意思決定を行うとは限らないはずだ。
“勝手気儘な自己貫決”は、もっと言うならばUMDは、例えばそういったものなのである。
「……」
「もう一つは、“得手勝手な親和欲求”。」
――“得手勝手な親和欲求”。
このUMDの影響で、直輝は『自分が好意をもっている人物などのUMD、異能力、魔術などを見慣れることで、自己流に改変して模倣することができる場合がある』。
このUMDは、家族や友人など身近な人物のクセが無意識の内にうつる現象に似ている。
この現象は、好意を持っている人物の見慣れたクセであるほど起こりやすいというのは知られているが、その条件は明確でないし、好意的な人物の見慣れているクセならば必ずうつるというわけでもなく、うつったクセが永久に失われないとういわけでもない。
“得手勝手な親和欲求”もこれと同じで、好意の度合いやどれほど見慣れているかの基準は曖昧で一定ではなく、直輝自身にもわからない。その上、そもそも必ず模倣できるようになるという保証もなければ、一度模倣できればずっと模倣できるという保証もない。
ただ、少なくとも現代の科学ではありえない事象、つまりUMDや魔術などしか模倣することができず、普通の人間の純粋な技術や身体能力などは模倣できないことはほぼ確実である。また、感覚的に見慣れることのできない複雑な能力や体質のようなものもまず模倣できないし、複雑な準備や特別な道具などを要するものもまず模倣することはできない。
基本的に、炎を放出する、腕力を強化する、魔力をまとって殴る、というような単純な技や要素しか模倣することができないのである。
「――これで、全部です。
もちろん、今お話しした通り、自分でもちゃんとわかってるわけではないので……。全て正確には、説明できてないかもしれませんが……。それでも、俺のわかってる範囲ではもう、……全部のUMDについてお話ししました。
少なくとも、実はまだ言ってなかったUMDがあって、なんてこれからも何個も出てくるとか、そういうことはないので。それは、安心して下さい。」
「……わかりました」
マシュは直輝の説明を全て理解できた。特に疑いもしなかった。
でも、それでもまだ、腑に落ちない部分があった。納得し切れない部分があった。どうしても拭えないものが、マシュの中で確かに存在感を放っていた。
「ごめんなさい。」
「……。なぜ、謝るのですか?」
「嘘は、ついてませんでした。それに、言う機会がなかったから言わなかった、とか。あまり一気に全部話しても、混乱させてしまうかもしれない、とか。言い訳もいくらでもあります。でも、だからこそ。それを言い訳にして、手の内を全て晒したくなくて、不誠実でした。ごめんなさい。」
「……謝らないでください。木村さんは何も悪くありません。出会ったばかりの私を助けてくださって、今もこうして協力してくださっています。それだけで、私は本当に感謝しているんです。それぐらいの隠し事は、あって当然です」
マシュは本心からそう言っていた。でも、それだけが本心ではなかった。
理由はどうあれ大事なことを隠されていたということに、直輝への淡い不信感のようなもやもやを。そして、自分が思っていたほど信用されていなかったんだということに、ショックを受けていた。
それに何より、隠されていた二つのUMDについて詳細に聞かされたことで、元からあった疑問が浮き彫りになった。
『物理的な刺激であれば気合で耐えられる』のだと思って貰えればまず差し当たって差し支えないと思うという風に説明されていた、一つ目のUMD。それが、正確にはどのようなUMDであるのか。そもそも、UMDとはいったいなんなのか。
しかし、あんな風に直輝に謝られては、それを表に出すことなどできなかった。不意に負の思いが口をついてしまうよりも早く、疑問を言葉にして口から出すよりも前に、直輝をフォローしなくてはという意識が口を動かした。
そして、それは直輝にとっても想定内だった。謝罪自体は本心からのものだったが、それだけではなく、こんな風に素直に謝罪をすれば、恐らくマシュは強く出れないだろうとわかっていたのだ。そして、このような空気になれば、これ以上は深く追求してこないことも予想通りだった。
もちろん、これからも協力関係を維持するのなら、ここで変に誤魔化したり衝突しない方がいいだろうという言い訳はあった。そのためには、喋る気のない部分には触れさせないのが一番だった。
しかし、だからこそ、そんな言い訳を後ろ盾にしてマシュの気持ちを抑え込ませている自分が、直輝は生理的に受け入れられなかった。誰がどう思おうと俺は俺を許さないと、直輝は確固たる意志をもって自分を嫌悪した。
「……そうだ、木村さん。私が木村さんに信頼していただければ、木村さんは私のことも模倣できるのでしょうか?」
「うーん……。そう、ですねぇ……。マシュしゃんの能力は、難しい気がします。特別技っぽいものもないですし、戦い方も普通に武器で攻撃するだけなので。あっ、だけって言い方はあれですけど。得手勝手で模倣するには、難しいんじゃないかなと思います……。」
「そうですか……。宝具だったらどうでしょう?」
――宝具。それは、サーヴァントの切り札。
別名、貴い幻想。人間の幻想を骨子に作り上げられたサーヴァントの武装であり、英霊の信仰を象徴する概念である。
全てのサーヴァントはこれを伴って現界するが、その種類は千差万別。剣や盾と言った直接的な武装である場合が多いが、能力や技術のような形のない宝具も少なくはない。中には現界してから現地の材料で作成しなければならないものや、自分自身が宝具であるといった稀有なものさえ存在する。
ほぼ全ての宝具は、その名を口にする真名解放によってその真価を発揮し、絶大な効力を発揮する。反面、そのほとんどは魔力消費が著しく、連発は難しい。状況を見誤って使用すれば、自身の消滅さえ招きかねない、正に切り札である。
現在のマシュ・キリエライトの宝具は、“いまは脆き夢想の■”。
かつてマシュの内にあった力による“いまは遥か理想の■”を、現在のマシュの力だけで疑似的に再現したその宝具は、以前のようにはいかなくとも、今も確かな盾となって大切なものを守る。
彼女の切り札は、守るための宝具である。
「あれも、難しいんじゃないかなと思います。何度も見れば、手の平で、かなり劣化した状態でなら模倣できるかもしれませんけど。今のマシュさんに何度も見せて貰うこと自体、現実的じゃないですし……。
そもそも、ああいうのとは俺、相性よくないんですよね。たぶん。攻撃とかだったら直接俺がくらって、より体感できますけど。ああいうのは、そういうわけにもいきませんし……。ああでも、逆に俺が殴ったりすればいいのか。
……とはいえ、って感じですね。」
「そうですか……」
二人の間に沈黙が流れる。
「そうだ!」
「?」
「技を考える、っていうのはどうですか?」
「技、ですか?」
きょとんとするマシュの前で、マスク越しでもわかるくらい無邪気な笑みを浮かべて直輝は答える。
「はい。俺は現状、あの怪しい男の人に貰った機械を使って、何回もゴーレムを攻撃してやっと倒せたくらいの攻撃力しかないじゃないですか。セーラーセレーネさんにも、魔力が足りてなかったはずなのに、ほとんどダメージは与えられなかったし。
だから、サーヴァント級の神秘をまとった攻撃ってだけで、今の俺には充分意味があると思うんです。だから、イメージしやすいように何か技を考えて。技自体は、盾で突撃するだけとか、単純なものでいいというか、むしろそっちの方がいいと思うんですけど。
それで、神秘をまとった技を模倣できれば、もう少し役に立てるんじゃないかな、って思ったんですけど……。どうですか?」
「……確かに、それはいい考えかもしれませんね」
「ほんとですか?!」
「はい」
「よかったです。」
直輝は嬉しそうに目を細めた。
「――じゃあ、さっそく考えましょうか。実はもう一個、技名考えてあるんですよ。」
「流石、木村さん。どんな技名ですか?」
「……シールド・アタック。」
「……」
「後、もう一個あります。マシュ・アタック。」
「……」
マシュはそれが、先ほどから二人の間に漂っていた暗い空気を吹き飛ばすための、優しい冗談であることを心から願った。
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AiEnのマテリアルメモ
UMD
少なくとも現代の科学ではありえない事象を引き起こすあるものの総称。
自分勝手な自己〓〓
読み、じぶんかってなじこ〓〓〓。英名、selfish self-〓〓 (SSH)。
直輝いわく、『物理的な刺激であれば気合で耐えられる』のだと思って貰えればまず差し当たって差し支えないと思う。
勝手気儘な自己貫決
読み、かってきままなじこかんけつ。英名、abandoned self-determination (ASD)。
ヒトの行動や精神などに干渉するUMD、異能力、魔術などによって自身の意思に反して操られない。
得手勝手な親和欲求
読み、えてかってなしんわよっきゅう。英名、egoistic affinity-mirroring (EAM)。
自分が好意をもっている人物などのUMD、異能力、魔術などを見慣れることで、自己流に改変して模倣することができる場合がある。