新しきを重んじる日本、古きを重んじるロンドン

海外の文化に触れると根本的な価値観や考え方が揺らぐから面白い。
今日はその中の一つ、「新しい」を好む日本人について。

マンション、服、日用品、日本では様々な物の多くが新しい方が高く、新しい方が好まれる傾向にある。
新築のマンション、ニューシーズンの新しい洋服、新品の食器。
なんとなく日本で古いものは、ボロボロや何か薄汚れているようなイメージを持ってしまう。

ロンドンに来てその価値観の違いにびっくり。
家は歴史があるほど価値があるものとされ、多くの人々が古着を楽しみ、たくさんあるアンティークショップには様々な日用品が並んでいる。
週末にもなれば人気のアンティークショップはとても賑わっている。

日本の「新しい」を好む価値観について、こういうことを教えてくれた人がいました。
「日本は戦争で文化がリセットされ、また国として地震が多い国なので建物に関しても壊れるもの、いずれなくなるもの、という想定がされているのではないか。」
確かに。新築の家を建てる時、400年500年後を考えて建てる人っているのかな。
私自身も新しいもの、できれば傷が入っていないものを好んできたけど、ロンドンに来て、この価値観自体が日本の価値創造の妨げになっているのではないかと思うようになったのです。

新しいものを好むということは、自ずと流通するものが増える。捨てられるものも増える。
捨てられるから、それまでの消費財として捉えるので、そこにできることなら多くのお金を払いたくない。
自分の好まないデザインなら、「このデザイン無くして100円安くして欲しい」「無地でいいからちょっと安く」となる。

雑貨業界だけでなく、
この価値創造の過程を認められる日本人は少なく思う。
そして、私はそこに矛盾を感じる。
自分の給料(自分の会社の利益)は高く欲しいが、仕入れる値段は安くしたい。
これ、おかしいと思う。

他社の仕事の価値の評価を真っ当にできなくて自分たちの利益のために仕入れ価格を安くしようとする行為は、価値創造の過程をつぶす。
そしてその方々の仕事が評価されないなら、その後の価値創造にはつながらない。作られるはずの価値がどんどん潰される。

仕入れ価格を安くし、自分たちの利益を増やそうとする行為は、
最終的に世の中に提供できる価値の芽を潰しながら、自分たちの仕事を放棄して他者の利益を横取りしているだけのように思う。

ロンドンのみならず、他社の価値創造の過程を評価し、しっかりそこに対価を支払える国は人々が豊かで、ゆとりある生活をしているように思う。
少なくとも疲弊した日本人より遥かに楽しそう。

競争はもちろん大事だと思う。
だけど競争に力を入れすぎると値段勝負の波にのまれ、、そうなると消費者も値段で購入するようになる。
各々が作り出せる独自の価値を生み出し続けて、お互いを認め合い、価値に対して対価を支払えるようになると、
世の中はもっと豊かに、人々が幸せになるのではないかと思う。

いろんな国を見て思ったことなので、妄想でしかないけれど。
ただ仕事のみならず、他者を認めて評価していく世の中は素敵だなと思う。
そしてそういう国に住んでいる人々の幸福感を感じ、日本も働くことがもっと楽しく、人生が豊かな国になったらいいな。
日本人のものづくり精神、技術の凄さは海外に出てなお感じる。
外国人が認める日本の価値をどうして日本人である私たちは感じにくいんだろう。
案外そういうものなのかも。
自分たちの価値は自分では気づきにくいのかもしれない。

日本の技術、ものづくり精神は他者を思いやり細かな気配りができるズバらしいもの。
これこそ世界にもっともっと羽ばたいて欲しい。
そしてそんな国で育ったことを誇りに思いたい。

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