おやすみ私、また来世。 #25
僕は彼女の姉だという、神園美祈と名乗る女性のあとを着いて歩いていた。身内だから彼女を探しているのだろうし、姉妹だから彼女のTwitterのアカウントを知っているのだろう。そう思案した。何より二人の顔は良く似ていた。とにかく、彼女を騙る悪戯じゃない事は確かなようだった。
──左手に、煽るように聳え立つ巨大な白い建物が目に入った。おそらくこれが中野サンプラザなのだろう。かつて相対性理論はここでライヴを演ったことがあった。そのときはお互いに忙しく、チケットを取ることすらできなかったが、あのとき観ることができていたのなら、彼女は自宅が中野にあることを僕に話してくれていたかもしれない。
「──中野はあまり来ないですか?」
目の前を歩いていた彼女の姉は、僕が思わず立ち止まっていたことに気がつき、振り返ってそう訊いた。
「そう、ですね。特に用事がない限り、新宿より西の方にはあまり来ないですね」
「そっか。あおちゃん、誰も家に連れて来たこともなかったしね」
そう言って、少しだけ笑い顔を見せ、そこからすぐの場所にあった喫茶店に入った。僕も黙ってあとに続き、その店の階段を上がった。
目の前には彼女の姉──神園美折が座っていた。飲み物を注文したあと、二人は共に無言になった。それはそれほど長くはなかったが、お互いを品定めする時間のようだった。
彼女とは正反対のモノトーンの衣服。一見地味目なグレーのコートと、飾り気のない生成りのブラウスだったが、品があった。僕は改めて目の前の女性を真正面に捉えると、この人が彼女と血を分けた姉妹だということをはっきりと意識した。
温かいカフェ・オーレが運ばれてくると、ようやく会話ができる場になった。
「──本当に、お姉さんなんですね」
その顔には疲れが見えたが、やはり顔立ちは彼女にそっくりだった。とても大人に見える彼女の姉は、少し子供じみた彼女とは髪型も雰囲気も全く違ったが、何処か冷めた印象を受けるのは同じだった。
「私、あおちゃんと似てる?」
「似てますね……」
知らずのうちに、僕はじっと見つめてしまっていた。美祈さんは僕の視線を恥ずかしそうに外した。
美祈さんは彼女を“あおちゃん”と呼んだ。彼女の本名は神園愛祈──愛を祈ると書いて、あおり。彼女のハンドルネームが本名なのは知っていたが、美祈さんとDMのやりとりの中で、ようやく彼女のフルネームを知った。
身内である美祈さんも彼女を探していたことから、彼女が入院しているという可能性はほとんどなくなった。家族が行方を知らないとなると、事故や事件に巻き込まれた可能性が高くなり、僕の気持ちは重くなる。家族の方で警察に捜索願いを出してはいるが、今のところ目撃情報すらないという。
普段と何も変わらない様子で、ある日帰って来なくなった──三度目の受験ということもあり、余計なプレッシャーをかけないようにと、家族の間でも、ここ最近は彼女の好きなようにさせていたという。
ずっと部屋に閉じこもっていたということもなく、家族間のコミュニケーションはいつも通りに取れており、彼女がいなくなる意味がわからない、という感じだった。それを考えると、やはり事故か事件に巻き込まれた可能性が高いと思わざるを得なくなる。
元々SNSの類に疎いという美祈さんは、彼女がTwitterをしていたことを知らなかった──というより、美祈さんがTwitterというものを知ったのは最近のことで、何か手掛かりはないかと、自宅の彼女のPCを触っていたときに初めて知った。
彼女のアカウントのパスワードは、姉妹の間で大事にしている数列があり、それで簡単にログインできたらしい。そして慣れないつぶやきをし、僕に繋がった──それが昨日の謎のツイートの正体だった。
美祈さんは彼女の交友関係を一切知らず、彼女の性格上、友人は一切作らないものと思っていた。そんなこともあり、彼女は家族に僕の存在を伝えるどころか、気づかれてすらいなかった。確かに、僕が彼女の秘密結社に入って三年以上経過するが、その間、家族の話題になることはほとんどなかった。それと同じように、彼女は僕の話を家族にすることがなかったのだろう。それを戒律ととるのなら、それを徹底した彼女はとても彼女らしいといえた。
「──私たち姉妹と、他人とは思えない名前なんですね」
彼女と初めて会ったとき、すごく既視感を感じると言ったのは、お互いの名前に“神”と“祈”という字が入っていたからだ。目の前の美祈さんもそれを指摘した。
「折原さんは、あおちゃんの彼氏さん──なんですよね?」
美祈さんは何処か言い難そうに、それでいてはっきりと僕に訊いた。
「──あ、いや、そこまでの関係ではないです。同じサークルに参加している仲間というか……友人というか──」
そこまで言い、僕はカフェ・オーレを啜って誤魔化した。ずっと彼女に好意を抱いているということ、そのサークルは彼女の作った自称・秘密結社だということまでは言わなかった。
「あおちゃん、サークルなんて入ってたんですね。大学のサークルって大学生でなくても入れるんでしたっけ?」
「サークルにもよると思いますけど」
「──で、何のサークルなんです?」
「あ、いや、そうですね……。非科学現象の研究会というか──」
僕が言い淀んでいると、お姉さんは「あぁ」と漏らし、「やっぱりUFOとかそういうのなんですね」と少し落胆したようだった。さすがに身内は気づいていたのか、あっさりとそれが世間的に理解され難いオカルト研究であることを言い当てられる。
「いや、それだけではなくてですね。共通して好きなバンドがあって、ライヴを観に行ったり、それについて語ったりすることもあって──怪しくはないです。健全なもんです」
と、言わなくてもいい言い訳が滑り出ていた。
「全然気にしなくてもいいですよ。あおちゃんがそういう不思議なものにハマっているのは父親のせいですから。そういうのは日常なんで」
確かに身内であるお姉さんに隠しても仕方ない。いなくなった彼女の行く先に繋がるのなら、できるだけ情報は隠さず、共有しておくことが重要だと改めて思う。詳しい話を訊いてみると、彼女たち姉妹の父親は、大学准教授という硬い仕事をしていた。それ故の反動か、全く専門の違う不思議なもの──オカルトに傾倒していたということだった。自宅の書斎には専門である物理学に関する書物と共に、何処か如何わしさを感じる非科学的な書物が所狭しと並べてあるそうだ。
彼女は幼い頃から父親の話を聞き、そんな大量の書物に触れ、ごく自然にUFOや超常現象に興味を持つようになった。『いつか一緒にUFOを探しに行こう』──ずっとそう言われて育ってきた。残念ながら彼女たち姉妹の父親は、五年前に若くして他界していたが、それをきっかけにして、彼女のオカルト熱は益々加熱していったという話だった。
「──小さい頃は私もUFOを観たいって思ってたこともあったけど、小学生の高学年になる頃には全く興味がなくなってました。それよりも、お洒落に気を遣うようになったりして……ほら、丁度背伸びし始める年頃じゃないですか。でも、あおちゃんは違った。不思議なものや宇宙が大好きで、自分が納得する答えに辿り着くまで、父に質問を繰り返してました。そのうちそれじゃ満足できなくなって、自分で調べるようになって──あの通り、内向的な子だったから、どんどんのめり込んでいって……ひょっとしたら、父が亡くなってからは、自分がその意志を引き継いでるって思ってるのかもしれない」
彼女がオカルトに傾倒するきっかけは父親にあり、その知識は父親譲りだった。そうやって彼女は幼い頃から、不思議な事象の英才教育を受けてきた。
「──そうだったんですね」
「ええ。だから、私はそっちの方面には詳しくないので、あおちゃんと親しくしている折原さんなら、私たちの知らない情報があるんじゃないかなって──こうしてわざわざ来て頂いたんです」
正直、手詰まりかもしれないと思った。家族がそう思い、僕に頼ってしまう気持ちもわからないでもなかったが、僕は美祈さんが想像する以上に、彼女のことを何も知らなかった。
「この辺りの彼女がよく行くお店なんかで訊いてみたりはしたんですよね?」
「そうですね。ブロードウェイのお店にはよく行ってたから、見かけなかったか訊いてはみましたけど、最近は見かけてないそうです──もう東京にはいないんじゃないかなと思います」
「どうしてです?」
「ほら、あおちゃん、受験勉強の追い込みで旅館やホテルで勉強してたじゃないですか? 折原さんは一緒じゃなかったんですか?」
「一緒じゃないです──というか、そんなこと初めて知りました」
「そうなんですか──勉強しに行くから一人だったのかな……?」
僕の知らない彼女の一面が垣間見え、少し気が滅入った。
「それ、詳しく教えてくれませんか?」
「えぇ。最近のあおちゃん、ふらっといなくなることがあって……最初は一〇月くらいだったかな? 今日は帰らないけど心配しないでって連絡はあったから、それほど心配はしなかったけど、翌日何処に行ってたのって訊いたら、旅館に勉強しに行ってたって聞いて。年頃っていうのもあるし、二浪もしてるから、あおちゃんなりに色々思うところもあるのかなって。だからお母さんと話して、あおちゃんの好きにさせてあげようって──それからは母もそれに応援するようになって、連絡くらいはしなさいよって送り出してた。お母さんなんて交通費と宿泊費は出してあげるからって、まとめてお金あげてたくらい。だいたい二日くらい帰ってこなかったりしたけど、長いときは一週間。静かな温泉地の旅館に泊まってたみたいで、いつもお土産を買ってきてくれて。連絡もまちまちだったけど、ちゃんと帰って来てたから、二人共あまり気にしなかった。だから今回もそのうち帰って来るだろうって思ってたら年末になっちゃって、結局センター試験は受けなかったみたいです」
丁度、僕と合わなくなってた頃から、彼女は頻繁に何処かに出掛けていたようだ。何か僕に話せない理由でもあるのかと考えてみたが、答えに辿り着くことはできなかった。きっと、“話す必要がない”という彼女なりの判断なのだろう。
「──最後に連絡があったときは何処からだったんです?」
「十一月の終わりに熱海からあったけど、家に戻らないで次の場所に行くからって。そのときは、次の場所に着いたらまた連絡するからって言ってたけど、結局それっきり──」
そう言うと美折さんは視線を落とした。
「行き場所はいつも温泉地だったんですか?」
「そうですね。箱根とか軽井沢とか? 離れたところだと高野山もあったかと思います」
「高野山? ──和歌山か、ずいぶん遠いところまで行ってるんですね。本当にあおりちゃんは勉強をしに行ってたんですかね」
「うーん。私も正直、あおちゃんが勉強してたかどうかはわからない。ただ温泉地で一人ゆっくりしたかったんじゃないかなって──さっきも言いましたけど、彼女なりに色々想うことがあったんでしょうね……」
姉である美祈さんはそう言ったが、僕には到底そうは思えなかった。本当のことは何も告げず、彼女は何をしていたのだろう。彼女が自分を見つめることで、一人温泉地でゆっくりするなんてことは考えられない。そこにはきっと明確な意味があるはずだった。少なくとも、これで彼女が事故や事件に巻き込まれたのではなく、彼女自身の意思で姿を隠しているだろうことがわかった。
「出不精な子のはずだったけど、いつからそんなに出歩くのが好きになったのかしら?」
確かに彼女にそんなイメージはない。誰かと旅行に行ったという話も、何処かに旅行に行きたいというような話も聞いたことはなかった。
「──ところで、前に彼女が誰かにつけられてるみたいな話をされたことがあるんですけど、それについて何か詳しく聞いたことはないですか?」
「Twitterで少しつぶやいてましたね。でも、私はあおちゃんからそんな話を聞いたことはないです。妄想──とまでは言わないですけど、あおちゃんの気のせいじゃないかなって思ったくらいで」
今のこの状況を考えると、ずっと誰かにつけられていて、何処かのタイミングでその人物に誘拐された可能性も否定はできなかったが、それでも美折さんと同じように、僕はそれはないと感覚的に思っていた。
「捜索願いはいつ頃に出したんですか?」
「年末です。最後に連絡があってから三週間くらい過ぎた頃、さすがにどうしたんだろうねって、お母さんと話をして──携帯電話も繋がらないし、試験も近かったこともあって捜索願いを出しました。でも、警察の方にも、最近ふらりと何処かに出掛けていくことがあるって話したら、極度の受験のプレッシャーで衝動的に姿を隠してるんだろうって判断されて……。警察の方からはあれから何の連絡もなく、とても本腰を入れて探してくれてるようには思えないです」
確かに未成年ならまだしも、事件性も感じらず、自発的に居なくなったと判断されれば、積極的な捜索などしないだろう。事件に巻き込まれていなくても、事故に巻き込まれた可能性もあったが、この状況を考えると、彼女の方から連絡を断っているのは明確だった。
「あおちゃんから折原さんの方には何も連絡はないんですよね?」
「ないです。最後に会ったのは十一月五日のお台場で、そこから何度かメールとリプライで少し接触があっただけで」
「十一月五日……」
「その日は半年ぶりの相対性理論のライヴだったんで、はっきり覚えてるんです」
美折さんが怪訝に思ったのを察し、僕はそう応えた。
「相対性理論──あぁ、あおちゃんがたくさん持ってるCDの──」
「えぇ、それです。彼女と会ったのはそれがきっかけですから」
「そうだったんですね……あおちゃん、必要最低限のことしか話さないから、どんな音楽が好きかなんて知らなかったし、折原さんのことも知りませんでした。だから知らないところで、誰かと仲良くしてたなんて相当びっくりもしたけど、嬉しかったんですよ」
美折さんは微笑んだが、僕は何処か居た堪れない気持ちになった。
「──他に親しかった友人は?」
「私の知るところでは誰も……小学生の頃から一人で居ることが好きな娘でした。きっと周りと話が合わなかっんでしょうね。いつも母や私でなく、父とばかり仲良くしてましたから」
オカルトに傾倒した大学准教授──彼女にとっては父親であり、一番の話し相手でもあったのだろう。
「最後に電話を受けたとき、特に変わった様子はなかったですか?」
質問ばかりの僕に対して、「──なんだか刑事さんみたい」と美折さんが笑った。僕は気遣いが足りなかったと思い謝罪すると、今度は美折さんが申し訳なさそうにした。
「いえいえ、いいんですよ! ──そうですね、変わった様子というか、夏ぐらいから、あまり元気がなかったかな。でも、それは受験が迫ってきているからだと思ってて──それとも違うんでしょうか?」
「──いや、たぶん、そうでしょうね」
そう応えながらも、僕は春くらいから彼女の様子が少し変わったと感じていた。それは彼女が、僕にUFOを見せた頃だ。いつものように早口気味に不思議な話を語りながらも、何処か悟ったような余裕を感じた。だからといって、彼女が異星人に拐われたり、別の星に行ってしまった、なんて流石に思わないが、何かしら僕の理解できない力が関わっていることは感じられた。
彼女の言う気のせい──気の持ちようだけで世界を変えることができるということを、彼女自身が実践しているのかもしれない。そんなことを思った。
「そんなに思い詰めるのなら、大学なんて無理して行こうとしなくても良かったのに……」
そう言った美折さんに、それを伝えることはできなかった。
きっと彼女は、明確な意思を持ち、何処かに向かい、自ら連絡を断っている。残された僕らは、手掛かりの少ない中で、答えの出ない難問をずっと抱え続けるしかなかった。
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