擬似体験で自分じゃない何かになる
昔から漫画とか小説が好きで、たくさん読んできた。
ジャンルはなんでもいけるタイプ
ファンタジーから歴史や恋愛もの、それこそNL、BL、GL何でもござれ。赤川次郎を読むこともあれば、宮部みゆきの本を読み、時には西尾維新や舞城王太郎の本を読み、なんとなく古事記にも手を出してみたり。
漫画で言うと、らんま1/2やてんてんくん、優駿の門や銀魂、ベルセルクやクッキングパパ、ドクターKなどなど、有名なものからドマイナーなものまでなんでも読んできた。
昔から雑食で、その時のワクワク感が得られればぶっちゃけなんでもいいんだけど、漫画や小説にのめり込むときは、主人公の視点を通して擬似体験をしていると思う。
自分じゃない何かになれているという感覚っていうのかな。チートな主人公であれば、その時自分がとても強くなれたような気がして、とても満たされている気持ちになったな、と今振り返ってみて思う。
でも中高の時、たくさんの物語に一気に触れると、不思議と空虚感を感じることが多々あって、今思えば現実とのギャップがそこにあったんだなって思って。
漫画の主人公を通して得られる万能感も、現実に戻って見ると余計現実を直視するのがきつくなって、一時期物語から距離を置いたことがあったんだけど、自分なりにこのギャップを感じるのが嫌になってたのかなって今改めて思う。
最近、そんな内容の振り返りをしていて気づいた擬似体験のいいところ。
感受性が豊かになる。
私はなかなか感受性が強くて、泣ける物語だと1秒で涙が出るほどチョロいわけなんだけど、この「感受性」は今社会に出てうまく活きてるなと思う。
その人がどういう人かを見極めて、自分なりに想像してみて、どういう振る舞いがベストかを考える。
私はかつての上司に「主観が強いとビジネスはうまくいかない」と言われて育ったんだけど、この感受性は主観が強くなりすぎないように抑制してくれるというか。
相手の視点や感情を察知して考えるというのは、この感受性が大切だなとしばしば思う。
昔からこの感受性が育まれてきたからこそ、マネジメントだったりどう振る舞うべきか、はあまり外すことはないなと思う。
想像するというのはとても大切で、人が相手ならまず感受性を豊かにするのがはじめの一歩だな。
擬似体験は感受性を豊かにして想像力を鍛えるのに最適だなと。
withコロナだからこそ、ステイホームで擬似体験を、と思ってこの期間を楽しもう。