The Fantasy of Youth――青春の幻想

岡野君は顔の長い無口な子だった。中学から高校と同じ学校だった。お父さんは山氏で、子供のころは一緒に九州の山々を転々としていたという。

中学校二年生の時、私が思い付きで作った新聞部に、岡野君は村野君と入部してきた。村野君と私は小学校も一緒で、ボール遊びをしこともあった。成績はそんなに良くないが、少年らしい元気な子だったので、私は村野君が好きだった。新聞部では村野君は一生懸命ガリ版を切って文字を書いていた。汚い字だったがそれも少年らしかった。一方岡野君は堅い面白くない記事を書いた。岡野君とはあまり話はしなかった。

そのうち、私は新聞部に飽きて放り出してしまった。

岡野君と私は同じ高校に進学し、村野君は別の工業高校に進学したので、村野君とはそれきりになってしまった。

岡野君は高校に入ると勉強に精を出し始めた。中学の成績は圧倒的に私のほうが良かったので、「がり勉」とバカにしていたが、そのうちどんどん引き離されてしまった。

高校のある町には、汽車に二十分ほど乗って通った。高校から駅に向かう途中に、木の生い茂った大きな屋敷があった。道幅は広く静かで、夏などは屋敷の緑のおかげで涼しかった。その向かいに、町に二件しかない本屋のひとつがあった。

高校からの帰り道、その本屋で岡野君を見かけたことがあった。立ち読みしていたのだ。岡野君が本屋を出た後、彼が立ち読みしていた本を見つけた。それはチェ・ゲバラだった。がり勉が読む本にしては意外だった。

その後私たちは別々の大学に進み、大学に入った岡野君がそのころ盛んだった政治運動にかかわり始めたことを、友人たちから聞いた。

高校卒業から二十五年ほどが過ぎたころ、私にどうしても解決しなければならない問題が起きた。父親が残した土地を処分しなければならなかったのだ。田舎の複雑な人間関係や問題の処理の仕方は、私の手に余った。

そこで、友人に頼んで岡野君と連絡を取ってもらった。岡野君は大学を中退し、福岡で、生産者から直接野菜を購入して販売する、青果会社を経営していた。私は彼の世間知をあてにした。

仕事で上京するという岡野君に、新宿駅近くの甘味処で待ち合わせした。岡野君は、現れるや否や私がファックスで送った地図がひどい、とやたらと大声でしゃべる、丸顔の中年の男性になっていた。

この丸い顔をした、自分の経営する会社の自慢ばかりする男が、本当にあの岡野君だろうか。信じられなかった。

岡野君の世間知は結局私の役には立たなかったが、岡野君が仕事で上京してくると、会って食事をするようになった。

お酒を飲み、食事する間、岡野君は高校時代の話もした。通学に使っていた汽車の本数は限られていたので、行きも帰りも大体みな同じ時刻の汽車に乗っていた。席にみんなが座れないこともあった。ある時、私が岡野君の座っていた席のひじ掛けに腰かけたという。岡野君はどきどきしたと言った。
私は驚いた。その時のことは全然覚えていなかったし、自分のせいで男の子がどきどきするようなかわいらしい少女ではなかった、と思っていたからだ。

この話を聞いて以来、私は自分のことが少し好きになった。

岡野君は数年後、夜泥酔して帰宅途中、転んで頭を打ち、死んでしまった。二月の半ばのことだった。彼は大酒のみだったのだ。

しかし、今でも不思議でならない。本当にあの丸顔の中年の男が岡野君だったのだろうか。

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