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9.祈りを経験する

 これまでの記事でご紹介したような経緯で神様を信じるようになって、牧師先生との学びもするようになり、その中でキリスト教の祈り方を教えてもらいました。
 といっても、『祈るときはね。最初に「天の神様」って呼びかけて、真ん中でお願いしたいことに触れて、最後に「イエス様の御名によってお祈りします。」って付ければ良いんですよ。』という極めてアバウトな説明でした。

 「おぉ!そんな簡単なものなのか。」という感じでしたが、後から考えると「難しく考えるより、まず自分で祈ってみましょうね。」という配慮だったように思います。
 
 こうして難しくこねくり回すことなく、これなら自分にもできそうだという祈りの方法を聞いたので、自分でも、とりあえず祈ってみることを始めました。
 
 というよりも、当時の私は、司法試験の受験を続けるにしても辞めてしまうにしても、働かないことには、そもそもの生活が成り立たないというのに、働くあてもなく、数ヶ月で職場をクビになってしまった自分を雇ってくれるような職場があるとも思えず、途方に暮れていました。
 本当は、祈らずにいられなかったというのが実情だったのです。
 
 この当時は、教会で話を聞くと少し希望を持ち、でも目の前の仕事もないという現実に目を向けると、ズーンと落ち込むということを繰り返していました。
 そして、夜眠るときには、「このまま朝が来なければ良いのに」と思いながら眠りにつき、浅い眠りのため早朝に目が覚めてしまい「朝なんか来なくて良いのに。」「この寝床から立ち上がりたくない。」とつぶやく日々を送っていました。

 そんなある日の朝、その日も同様に寝床でグズグズして立ち上がる気力も出なかった時に、「神様、俺もう立ち上がる元気ないです。お金に困ってるので働きたいですが、仕事を探しに行く勇気も気力もないです。あなたにお願いするしかもうできません。イエス様のお名前でお願いします。」とお祈りしました。

 こんな惨めで都合の良いお祈りしかできないなぁ、情けないなぁと思いながら、今日はどう過ごそうか、という思いで過ごしていたところ、数日後に一本の電話が鳴りました。
 すると、私が初めて教会に足を運んだ後に、仕事を辞めたことを伝えた知人からでした。

 話を聞くと「仕事を辞めたんでしたよね?自分は公務員試験の受験生向けの予備校で講師のアルバイトをしているんですけど、その予備校にあなたのことを紹介しておいたので、電話してみて下さい。」とのことでした。

 突然の話に、あっけに取られる私。「え?祈りが聞かれた??」
 友人からの電話のタイミングといい、こちらが友人にお願いしたわけでもないのに、一方的に友人を介して仕事の道が開かれようとしていることといい、祈りに答えて何かの力が働いているとしか思えませんでした。

 さっそく、紹介先の予備校に電話すると「まずは面接に来て下さい」という話になり、牧師先生にも面接を受けることになったことを報告し、「ぜひ道が開かれるように」とお祈りしていただいて、面接に挑みました。

 面接の結果、無事にアルバイトではありますが、採用されることになり、私の当座の生活を維持するだけの経済的な必要は満たされることになりました。

 あんな寝床での力尽きそうな祈りでも、神様は聞いて下さった。
 私にとって、祈りには力があるということを、まざまざと見せられた体験でした。 

「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう。」

(口語訳 詩篇50篇15節)

 画像は、ドリアン・ヒロセさんのものを使わせて頂いてます。

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