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生きる#24 「食べること」と生きる

40歳を超えてからだろうか、最近自分のルーツを掘り下げ、ヒストリーを辿り、原体験の整理整頓を始めている。
考えてみれば、このnoteを始めたのもそんな時期だったか。

振り返ってみて改めて、
わたしの人生「食べる」というワードが切り離せない。

「食」に目覚めた小学生時代。
料理本にハマり、給食の献立表にハマり、「食」に関わることを仕事にしたい、と管理栄養士を目指した。
料理することも食べることも、とにかく楽しかった。

「食」に苦しんだ中高生時代。
カロリーを突き詰め過ぎて生理が止まった。
食べ物をカロリーだけで測ることは恐ろしいことだと知る。

「食」に関わる覚悟を突きつけられた大学時代。
食が好きで目指した管理栄養士だったけど、実際の現場は楽しさより正しさ。
医療現場はそのくらいシビアで責任も重いことを知る。
わたしは多分そこではないところに行きたかった。逃げたのかもな…

「食」を蔑ろにしたドラッグストア(前半)時代。
管理栄養士なのに、自分の食事はずさんだった。
帰りも遅いので料理はほとんどしない。
野菜切っただけ、豆腐切っただけ、みたいな食事w
お酒もまぁよく飲んでたね〜

「食」の複雑さを知ったドラッグストア(後半)時代。
特定保健指導やダイエット相談、育児相談、介護相談などあらゆる経験をさせてもらう。
ほんと、ドラッグストアはゆりかごから墓場までだなぁと、毎日おもしろかった。
人の一生と「食」は切り離せないものなんだ、と客観的に感じていた。
ここでは栄養の知識よりコミュニケーションスキルが必要だと痛感。
筋トレとマラソンにハマるw

「食」の責任につぶされそうだった育休時代。
子どもが産まれた。しかも双子で1人は超未熟児。
一滴の母乳がスポイトで飲めたことだけで感涙。
その後離乳食がマニュアル通りに進まないことで自分を責める。
正直、精神的にちょっとやばかった時期。

「食」から離れた地域おこし協力隊時代
転職と移住をした。
わたしの中では「食」の世界を一回捨てた。
新しいことを吸収するのにそれどころてはない。
管理栄養士として働けなくても、家庭で役立つからまぁいいか〜くらい

「食」に対する価値観が一変した弐百円時代
現在ここ。
鳥獣被害対策や狩猟という、今まで触れたことのない世界へ。
生き物の命をいただき、食べ物に変わっていく過程を知る。
今でも少しずつ、少しずつ、自分の気持ちが変化している。

命を奪われたあと、食べ物になれないと価値がないのか。
論理的な摂食と情緒的な摂食のバランスの奥深さ。
標準栄養を伝える難しさと責任。
などなど、今でも考え続けても答えは出ないし、カッコイイ言葉で語れるものは何もない。

「食べる」という行為の意味、特に、人間にとっての意味をずっとずっと考えてる。

安い弁当やファーストフードも食べるし、
10円でも安い玉子欲しさに車を走らせることもある。
そして、相変わらず料理センスは無い。
基本的に何でも美味しい。

けど、手に取る食材の背景の解像度は格段に上がった。
加工品であれば、製造工程とか加工コストはどのくらいなんだろうとか
肉魚であれば、屠殺は誰かがどんな気持ちでやってくれているんだろうとか
野菜であれば、獣害や病気に負けずによくぞ生き抜いてくれたなぁとかとか…

純粋に美味しくいただくには情報量多すぎかもしれないので、他人には押し付けないよう気を付けてるw

手に取って口に入れるまでに、その食べ物のヒストリーを妄想するのは、わたしの密かな趣味かもしれない。
面白い。全然飽きない。


わたし人生はやっぱり「食」から逃れることができないようだ。

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