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生きる#15 子どもは存在するだけで宝

今日は何となく書きたくなってスマホで投稿。

依頼を受け、某中学校でワークショップを行ってきた。
地域おこし協力隊だったということもあり、依頼されるテーマは「地域との関わり」を題材にしたものが多い。

「ワークショップを行ってきた」
と書いたけど、正確にいうとわたしはアシスタント。
会社として受けた地域教育関連のワークショップは、相方(髭)にお任せしている。
誰も思いつかないような構成と子どもたちを飽きさせることない進行。
やっぱ天才だな、と今日改めて思った。

しかし、彼は恐らく
「子どもたちが天才なのだ」
と言うだろう。

こういうワークショップの企画書を作り、提案に行くと、学校側から
「うちの生徒には無理かも」
という声があがる。
(そういうチャレンジングな内容にしてるからというのもあるけど)

わたしは親が教員で、実はわたし自身も一時的に教員を目指していた時期がある。
(採用試験落ちてすぐ諦めたw)
そして、子育てしていて、我が子に対して時々似た感情になる。

だから、先生のこのセリフも分からなくもない。
そんな事がうちの子にできるだろうか…
うん、不安だよね。


でも、だいたいが大人の想像を超えてくる。
今回も、爆笑したり胸を突くするどい意見が出たり。
そして、子どもも大人も、みんなとても楽しそうに笑っていた。

ワークショップで出た答えが正解かどうかは関係ない。
立派な答えである必要もない。
真剣に考えたり、勇気を出して答えてくれたり、その姿を見るだけで、大人達は心打たれるんだなぁと。
わたしも実は笑いながら泣きそうだった。

こういうワークショップ、大人の自己満足になりがちだけど、
『誰のためにやるのか』
に立ち返ると、今日のこの場が、その子たちの人生のいつかどこかで思い出されるくらいでちょうどいい。

突然やってきた、どこのオッサンオバサンか分からない人が喋ってた記憶なんて、そのくらいで充分なんだ。

でも、
先生でも親でもない、無責任な立場の大人の存在って結構大切なのかも、とも思う。
そのくらい、先生も親も無責任なこと言えないし、心にも時間にも余裕がない(わたしもね)

立派じゃなくてもいい
成績よくなくてもいい
上手に発言できなくてもいい

もう、存在してくれるだけで、生きててくれるだけで、地域の宝なんだ。
無責任なわたしは、他人様のお子さんを見て感じた。
そして、髭は一貫して子どもたちの可能性を信じる気持ちに揺るぎがなかった。

我が子もきっと、地域の人達にそんなふうに思われてるのかな。
急にありがたく感じた。
我が子にも今日の話をしてみよう。

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