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生きる#17 わたしが猪肉研究を続けている理由

はじめに

前記事の通り、わたしの中で投稿のハードルはnoteより低いInstagramに何となく今の気持ちを綴りたくて書き出しました。
そしたら、思ったより長くくどくなってしまって。
本来はnoteの方に綴るべきだったかなーと思い、こちらにも転載してみます。

わたしの血肉になる感覚

わたしが日々商品開発したり、研究したりしているお肉は、鳥獣被害対策の一環で捕獲された猪のお肉です。



もちろん、冬場の脂の乗った猪肉も美味しいし、罠をかけたり銃の腕を磨いて入念に準備し、動物と対峙して得た猟果であるということを知れば知るほど、その価値は理解できます。
(特に銃を手に出来るまでは想像以上の時間と労力とお金がかかります…)


でも、この2年間自分の頭の中を整理して言語化したり、商品を創る過程ではっきりした事は、
「有害鳥獣として扱われる猪や鹿の価値をもっと認知してもらいたい」
ということでした。

有害鳥獣…つまり、猟期が終わって春が来る頃、農家さんが一番忙しい時期に現れる猪や鹿のことです(有害鳥獣という表現についてはこの際許して)

「畑がやられて困るから獲ってくれ」
「捕獲しても処分に困るから引き取ってくれ」


これまでこの言葉を何度も聞いてきました。

鳥獣被害対策に関わる人が少なくなると、こういった動物は更に「厄介者」扱いされていくでしょう。

けど、わたしは皆が困ってるから仕方なく肉にしてきたわけではなく(最初のうちはそうだったけど)、純粋に価値ある命だと思って解体してきました(美味しさや栄養価も、環境的にも、食育としても)

いのちをいただく

この言葉を声にすると薄っぺらく感じるけれど、いのちある状態から肉にしていくまで彼らと共にする時間を重ねると、食肉としていただき自分の血肉になっていく感覚がより鮮明にイメージできるようになってきました。

そして、諦めずに伝え続ければ、その価値を理解し、彼らのいのちに感謝して食べてくださる方にちゃんと届くんだ、いうことも。

終わりに

わたしの中でキーワードになっている
「生きる」と「食べる」
その関わりについて、日常的にぐるぐる考えています。
正解はない問題について、日々起こる出来事によって自分の中で常に問い続けています。
2022年1月現在の気持ちを、とりとめもなく書いてみました。

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