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生きる#20 "1頭でも埋めたくない"を考えた結果

2018年春に初めてイノシシの解体に立ち合ってから、4年が経とうとしています。

そもそも入口は地域おこし協力隊時代に
猪のソーセージをイベントで販売するからには、その背景を理解した上でお客様に伝えたい」と、解体の現場に足を踏み入れたことでした。

そこから、想像以上に深い深い沼に嵌り、その沼の不透明な水の中で、手探りで一つずつ何かを掴んでは新たな発見を繰り返しているような感覚です。
(今も沼の全貌は見えない)

有害鳥獣捕獲の検収作業に同行していたときのこと。
有害鳥獣として捕獲されたのち、目の前で埋められていく野生動物を見て心を痛めたわたし。
今のように肉にする方法も、解体する場所も無く、ただただ自分の無力さを感じていました。

その一方で、
「この時期のやつは(市場)価値がないから、労力も割けない…」
と、残念そうな顔で土に還す猟師さんの顔も見てきました。

生き物の命をいただくことの責任を、
有害鳥獣として捕獲することの矛盾を、
より深く理解しているのは猟師さん達なのだ…
そのとき痛感したのでした。

「1頭でも埋めたくない」

その時感じた思いが、
わたし個人としても、
会社のビジョンとしても原点となっています。


そこからいろんな方に協力いただき、下手くそながらも少しずつイノシシを引き受け、先輩の見よう見まねで解体作業を重ねてきました。
県内外、あらゆる処理施設に見学に行ったり、
最新の技術や設備について先進地まで学びに行ったり。

苦手だった内臓摘出も、内臓と骨格の構造が理解できるようになってからはスムーズに行えるようになりました。
この3年で、本当にたくさんのイノシシと向き合ったと思います。

その中で気付いたこと。
1頭を内臓摘出・皮剥ぎをし、肉にしていく過程で、その先で喜ぶ顔の解像度が上がってきたこと。

「この子はあのシェフが喜ぶだろうな」
「この子はあの女性とその家族に食べてもらいたい」
「この子は…きっとあのワンコが離さないはず!」


鳥獣被害対策→捕獲→解体→販売→消費の全てのサイクルに関わりながら、
やがて自家消費の肉から、誰かを喜ばす=「商品としての価値」を改めて考えるようになったからです。

そして、中にはその「顔」が浮かばない個体があるのも事実です。

わたしたち相手にしているのは、「有害鳥獣」として捕獲されたイノシシ。
1頭1頭、個性や状態に大きな差があります。
そして、そもそも本来の目的は「鳥獣被害対策」です。

「肉にする」ことが優先されると、現状うちの町の仕組みでは、捕獲者には大きな負担となります。
血のまわりが早かったり、止めさしが上手く行かなかったり…

ジビエ利活用率の向上だけが目的になると、そういった個体も無理やり「肉」にしようとし、
結果的に「イノシシ」全体の価値を下げることに繋がってしまうのではないか。

「1頭でも埋めたくない」

だからこそ、1頭1頭見極めて、
時には思い切って処分するという覚悟を持つ。

一見矛盾しているようだし、「ジビエ」業界の品質や衛生管理では至極当然のこと。

でも、わたし自身が深い深い沼の中で、もがきながら行き着いた、今の答えです。

そして、
これも沼の状況が変わると変化していくでしょう。

世間の流れは自分でコントロールできないし、終わったことは変えられない。

その時々の「最適解」を、柔軟に考えていきたいと思います。

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