小論文対策③800-1000文字
課題
以下小論文
私は、日本においてアートが、社会の中で「各個人の主張を平和的に提示するもの」となっていくのが望ましいと考える。
現在、アートは「生活を豊かに、楽しくするもの」として日本の人々に受け入れられている。しかし逆に言えば「楽しませる」ことができないアートはアートとしての尊厳を保たれていないのではないか。大多数の日本人は、アートは娯楽、非日常であると認識しており現実の社会との関連性を見出そうとはしない。関連性が広く認知されているならば人々は娯楽としてではなく日常社会の延長線上(喜怒哀楽全ての感情が存在する世界)にアートを見出すことができるはずだ。実際には現在の日本において美術館や劇場の存在は、遊園地のようなエンターテインメント施設と認識されてしまっている。よって、社会と密接に関わる作品(見る人によって喜怒哀楽全ての感情が生まれる作品)は日本人の考えるアートからは外れていて、それらを求める人は極端に少ないのが現状である。
日本人にとってもアートは「個人の自由を表現する媒体」であるべきだ。個人の自由を表現することは、個人を取り巻く環境、つまり社会について表現することとほぼ同義である。欧米では、バンクシーのような政治を風刺する画家をはじめアートを通して社会と関わるアーティストが数多く存在する。一方日本では、昨年行われた「あいちトリエンナーレ」の中で昭和天皇の肖像を燃やす作品が展示されたことが原因で展覧会自体の中止を余儀なくされるという問題が起こった。この問題は、社会と密接に関わる作品(見る人によって喜怒哀楽全ての感情が生まれる作品)は日本で認められないことを象徴していると思う。私が危惧するのはこうした問題を知ったアーティストが批判を恐れて挑戦的な作品を創ることを諦めてしまうことだ。このまま周囲への忖度が働き続ければ、日本のアートは表現の手段としての役目を全うできず、社会から孤立した世界だけで生きていかなければならなくなる。
各個人の主張が「社会批判」の一言で足蹴にされることなく自由が保たれ、アートという平和的な手段で主張を試みるアーティストに敬意が示される日本になることを願っている。(894文字)82/90分
ああーだめだなあ主観をまるで社会全体の意見のように捉えて書いてしまってる
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?