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「ジョン・ウィリアムズは技だけで作っているからぼくは好かない」(その2)

これの続きです。



このCM曲が、放映の数か月前に作曲された「ラストエンペラーのテーマ」のあるパートとよく似ていることは、聞けばロバでもわかることだとして、どこが似ていてどこは違うのかをしっかり分析したものを寡聞にして知らないので気の向くままに分析してみようと思うよしなしごとにものくるおしきけれ。

この旋律、「ラストエンペラーのテーマ」には見られない特徴が見られます。

なんだと思いますか?末代皇帝陛下的主題音楽の旋律は、メジャー和音の構成音になるような音の並びを慎重に避けているのに対し、このCM曲「フローティング・アロング」はそういう音の並びが見られるのです。つまり皇帝曲に比べるともう少し前向きで、風通しがいい感じがします。

それぞれ「ド・レ・ミ・ソ」と「ソ・ラ・シ・レ」の音列です。メジャー和音に⑨の音が挿まったものです。「ラストエンペラーのテーマ」では慎重に避けられた旋律音列ではありませんか。それがこの石油駆動馬車の電影的広告用楽曲においては堂々と使用されているのです。

どうしてか? 映画のなかの溥儀と違って、CM中の龍一くんはもっとさやわかで前向きな好青年として描かれているからですよ。

彼には「自画像」(Self Portrait)という楽曲があります。ドビュッシーの同題の曲への名前的オマージュだったようですが、これも聴くとさわやか青年風の楽曲なのですよ。アルバム「音楽図鑑」(1984年)収録のもので、前年末にYMOを無事解散させて呪縛が消えて、伸び伸びしている感じ。その数年後、映画「ラストエンペラー」のサウンドトラックを二週間で作ってオーケストラ録音するという大強行軍を果たして次のアルバム「NEO GEO」が順調に仕上がっていくなか、さわやか青年として彼を描くCM仕事が打診されたところに、もうひとつの「自画像」といっていいこの曲をちゃちゃっと書き上げて仕上げたというわけで、旋律も「ラストエンペラーのテーマ」と似ているようで実はもっと陽性なものを自分自身の音楽的自画像としてちゃちゃっとこしらえたというところではないかと考えるところです。

ただ「ド ↗ レ ↗ ミ ↗ ソ」とは歌わず「ソ ↘ ミ ↘ ド ↗ レ」と下向きにしちゃうところは末代皇帝的匂いが感じられます。前者ですと前向きすぎてマッチョイズムに傾きかねないので避けたのだと思います。


このCM、プールで泳いでいるときの水着が、男性用には珍しいワンピース、それもどこか女々しい柄のものです。こういうアンドロギュヌス的なリューイチくんイメージで始まって…

これにオーバーラップして登場するは、高級乗用車セドリック。緑のなかを駆けていく絵。

するとプールから上がってきたばかりだよんと印象付けるためか髪の毛をかきあげる動作のリューイチくんの(そういえば前のカットと同じ水着ですね、一目でそうわかるよう、わざと女々しい柄のものを彼に着せたのでしょう)、プールあがりのさわやか清潔感がオーバーラップで重ねられ…

そこにふたたび小公子セドリックくんの緑を駆ける絵がオーバーラップされて…

そこにまた髪をかき上げて「プールあがりのさわやかアンドロギュヌスだよーん」動作をする我らがヒーローがオーバーラップ。

映画の溥儀よりずっと陽性で、自由闊達、しかしアンドロなところは重なるというイメージを押し出した楽曲といえそうです。想像ですがCM制作者からそういう要望があったというよりはご本人がそういうイメージで曲をこしらえるといいねと考えてこしらえた気がします。CM枠を使っての音楽的自画像。

ちなみに映画「ラストエンペラー」の主人公は終始こんな感じ。



つづくかも



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