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無限に広がる小宇宙…「虚数」

私にとってリューイチ・サカモトの楽曲は、青春の夢と挫折、そして再起未だ果たせずな心象そのものです。これまで何度か綴ったことなのでここでは繰り返さないとして、もうひとつ同種の心持ちをかきたててくださるものがこちら。

大学生向けの数学書です。十代のとき、あてどなく図書館に寄っては、理工書を手に取っていました。そのなかにこの「30講」シリーズがありました。どの本も全30章で、一日に一章(つまり一講)ずつ読み進めば一か月でびぶんせきぶんもいそうもぐんろんもこゆうちもんだいもますたーできてしまうように思いこませてくださる全10巻でした。(むむむ、この思い出話は前に一回やってますね

今でもよく読み返しています。かつてつまづいたところ、自分はすうがくのさいのうあらへんのかゴーッドと神を恨んだりした箇所を通り過ぎるたびに胸がちくと痛むのはないしょです。青春の夢と挫折なんてありふれたフレーズでは収まらない、もっといじましくて、しかしもっともっと文明史的壮大さを伴う痛みです。

私たちが小学校でさんすうを習いだすとき、数えることから教わっています。おはじきをいっこ、にこ、さんこ… りんごがみっつと、とりがさんわは、数においては同じ「3」である… こんな風に、何かモノから始まって、次第に抽象の世界に誘われていきます。母親の子宮のなかで35億年ぶんの生物進化が十か月で再現されて子が生まれてくるように、私たちも数学の歩みをしょうがっこうで順に味わっていくわけです、少なくとも低学年では。

ちなみに数学でもうひとつ体感を根拠にしている概念があります。「無限」です。∞ とも書きます。もっともアニメ映画のナレーションで「無限に広がる大宇宙…」(ここでピヨヨンとか変なSEが鳴る)とか煽ってくるのは、無限を語っているというよりは、どんなに時間をかけて超光速で飛んでいっても果てにたどり着けないくらい広いのであるの意です。つまりここでいう
「無限」は「時間」の体感を伴ったものです。

しかしながら数学が高度に抽象化されていくにつれて「時間」の体感を伴わない「無限」がプロシア(今でいうドイツ)の数学者のあいだで論じられるようになりました。日本でいうと幕末から明治前期ぐらいの頃です。この頃はフランスとプロシアが数学二大王国でした。戦争も含めいろいろとライヴァル関係にあった二国です。後者でそういう「無限」論が一部の前衛的数学者のあいだで芽生え、20世紀に入るとこれこそが数学の本質であるとして、数学の体系化が進みました。「時間」を数学世界より駆逐せよ、と。

喩えるならば「I study music.」(私は音楽を学んでいる)などという文は「時間」を根拠にしているから今後は「I am a music student.」(私は音楽学徒です)と言うようにしなさいということです。

以上、長い前振りでした。実は「虚数」について語りたくて書き始めたのに、そこに辿りつくまでが大変だって今になって気づきました。

「時間」が数学世界より駆逐され、「I study music.」(私は音楽を学んでいる)を「I am a music student.」(私は音楽学徒です)に言いかえるような改革が行われた背景には「集合」の考え方がありました。

この「集合」論は、時間に頼らないで無限を語れるという、優れものでした。

さらにはこれを使うと、数学のあらゆる概念が語れてしまうのです。少なくともそう考える数学者集団がフランスに現れ、実際そういう数学の体系化を実行してみせました。現在、世界中で行われている数学の授業のカリキュラムは、この体系化運動の末裔です。今はもうすっかりスタンダードになってしまって、言い出しっぺが誰なのかほぼ忘れられているほどです。

この天才数学者集団の皆さまのおことばを信じるならば、「集合」を使えば、私たちが数直線と呼んでいるものも「時間」に頼らずに語りきることができます。

ただそれは「実数」の数直線についてです。「虚数」についてはどうかな?

結論をいえばできます。ただ、これまでいろいろな数学書に目を通してきたのですが、虚数の話になるとどなたも逃げ腰になってしまうのは面白いです。

私は前に「線とは無限に小さな円の無限連結」と述べました。無限に小さい円は点と同じです。ただ、点は一次元ですが円は二次元です。次元がひとつ多いというか余るのです。余った次元については「虚」として別枠にしてまえ!というのが虚数だよん、と。

集合論は実数の存在を保証します。線型性もです。線型性とは「右の右は右下」「上の左は斜め左上」ということです。実数と線型性のふたつが保証されるならば、そこから線型次元を語れるし、線型次元が語れるならば、それを元にして円とか直線とかの幾何が語れます。そうなれば「線とは無限に小さな円の無限連結」という私なりの考え方も集合論から肯定されます。集合論は無限を扱うために開発されたものなのだから、私のこのイメージを「それでよいである」とうなずいてくださることでしょう。

そうなればしめたもの。無限小円(2次元)を線(1次元)に擦り合わせるためには余った次元について「虚」という集合に入れてまえ!と言い出しても、数学神に罰せられることはないであろうと思われます。

こうやってことばで説明すると非常にわかりにくいものになってしまうのですが、絵を使って説明すると、あっさり伝わってくれる気がします。小学校で円の面積公式を習ったとき、円を無限にスライスして並べなおすと長方形になるよと絵で説明されてすぐ呑みこめたように、私の虚数説明も、同種の絵でできてしまうのです。

厳密な議論は後の機会に。今日のおしゃべりはそのためのメモでございます。


前にこんなの論じています ⇩


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