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量子力学の入門書は、どうしてあの話には逃げ腰なのか?

量子力学をひとりで学びだした頃、戸惑ったことのひとつが、やたら「*」が出てくることでした。

いわゆる共役複素数の印です。たとえば複素数「3+ⅰ」に対して「3ーⅰ」は共役の関係にあります。

もしaという複素数があって、それにa*とあったらaとは共役の複素数を表すと、そういうことです。(ちなみにaの上に横バーを付けて ā と記譜することもあります)

どうしてこうやたら複素共役が量子力学の、それも「∫」がらみの数式では出まくるのか、謎をひきずったまま話がどんどん進んでいくので、私の頭のなかは?マークでいっぱいになっていくのでした。



本の著者さんたちもそこを気にしてか「詳しいことは後になって数学の本にあたってちょ」とか書中のマスコットキャラクターに弁明させるのだけど…


その後またアクセルを踏んで岩山を四輪駆動でごつごつと登っていくようにして話が進んでいくのがお約束パターンです。(画像はイメージどすえ)



そこで量子力学の発展史にそって考えてみます。

1925年、花粉症で熱に倒れたヴェルナー・ハイゼンベルクが、知恵熱のおかげでしょうかわけのわからない数式でいっぱいの論文を書き上げました。

電子の軌道をめぐる論文でした。

途中で計算がめんどくさくなって放り投げた格好の代物でしたが、それを彼の師匠にあたるマックス・ボルンが目を通して、こう思いました。

「∑ でいっぱいのわけのわからん数式がいっぱいやなー何考えてんねんあいつは…まてよこれって行列ちゃうか?」

今では高校数学で基本を習うくらい基本的な数学ですが、この頃(1920年代)は前衛数学でした。物理学者で学生時代にこれを習ったひとは当時あまりいなかったようです。ボルンは多少知っていたようですが。

それで行列の得意な元教え子ヨルダンを呼び寄せて「ちょっとこれ見たってよ、わし線形代数なんて習ってへんけどおまはんそういうの詳しいで、わしといっしょにこの代物なんとか行列に落とし込んだってや」と声をかけて、そういう論文を書き上げました。

その後ふたりは、ことの張本人であるハイゼンベルクも巻き込んで、三人で論文を上梓したのでした。

いわゆる「行列力学」です。

彼らはエルミート行列と呼ばれる行列を、この研究に応用していました。詳細は省きますが共役複素数が出てきます。AとA* の複素数ペアをうまく掛け合わせると、うまく実数になってくれて、それが電子の位置とか運動量とかの値になると、そういう理論です。

ただ、彼らの当時の論文や、それに刺激されてほかの方々が上梓した諸論文にざっと目を通しても、複素共役について表立っては論じていませんね。スルーしてるわけではないです。ただ計算上の一時的なノイズ、といってはいいすぎでしょうか、とにかくあまり深入りしないでいます。数学的技巧であって物理的に解釈するにはもう少し機を待たないといけなかったのです。

1926年になると、今度はシュレディンガーが微積を使って、ハイゼンベルクと同じ結論が出せるメソッドを提唱して、当時の物理学界に大センセーションを巻き起こしました。

ハイゼンたちは行列つまり線形代数を駆使しての研究でした。当時の物理学者はこの分野の数学にはなじみが薄いことや、そもそもハイゼンのやり方があまりに技巧的で、答えは正しく出せていてもその過程が物理的に理解しがたいものだったため、あまり好意的にはみられていませんでした。

そこにシュが、微分積分というごくオーソドックスな技を使って、そして変分法として知られるこれもオーソドックスな技法を使って同じ答えが出せるとぶちかましたので、アインシュタインもプランクも目に涙を浮かべて大喝采でした。

ただやがてシュのメソッドでは解けない謎があるとわかり、この熱狂も冷めていきました。彼のやり方はΨ(波動関数)というのが出てきます。波動関数というくらいだから波を描く関数のことです。この波はどういう波なんやろ?という素朴な疑問から、議論は再び混濁状態に陥りました。

「電子が何か脈拍みたいなものだってことやろ」「ううんわしが計算したところ、この Ψ の波は脈拍にはなりえないねん」

やがて前述のボルンが、面白いアイディアを切り出しました。「Ψ の代わりに |Ψ|² で計算してみると面白いぞ。電子の存在確率になるやん!」

これがまた大きな論争を呼び起こしました。

しかし、ポール・ディラックがこのアイディアに沿ってあれこれと面倒くさい計算を行って、ある関数を取り入れれば説明できるとしました。


ある関数? そうですデルタ関数といいます。電気工学のほうではかなり前より使われていて、実用性ばつぐんでした。

下の図をご覧ください。赤の波が何重になっていますね。


究極においては、以下のように無限に長い一本の線になると考えられます。

こういうのをデルタ(δ)関数といいます。波の究極は無限の線分であり、位置は点となると、そういう関数です。

この関数は、波を元にしていることからも察しがつくでしょうが e(自然対数の底)で表現できます。

eといえば、この等式。

見てのとおり、複素数平面です。

デルタ関数は複素数と深くかかわる関数であること、それからボルンのアイディア「 |Ψ|² で計算してみると面白いぞ。電子の存在確率になるやん!」を、うまく橋架けできないやろか…

ディラックはそう順番に考えていった…というのはかなり話を盛っています。実際はハイゼンベルクによるとある論文に大きくインスパイアされて発想されたものです。実際の論文に目を通すと、ハイゼンのくだんの論文 "Schwankung Erscheinungen und Quantenmechanik"(1926) について(どういうわけか論文名は特定しないで)言及した後、デルタ(δ)関数の導入とディラック流新解釈を目指してめんどくさい計算をこれでもかーと進めていった末に…


これよりひとつ前の論文で提唱した、このアイディアが活かされています。

「Ψ と Ψ* を掛けても |Ψ|² になるのだから、デルタ関数の導入にあたってはΨ* もいっしょに使ってもええんちゃうか」


このアイディアは、彼がひとりでこつこつ温めてきた「q代数」という代数の成果でもありますが、これがさらに進んでデルタ関数の新解釈にたどり着くまでには、当時の欧米最高の知性たちが激しいバトルを繰り広げる長い長い道のり(年月上は一年半もないのですが)があったことに、今改めて驚かされます。

量子力学の教科書ではきまって省かれてしまいます。

ただそれも理解できる気がします。おそらくどの著者さんも、原論文をいちいち読んではいないだろうし、誰の論文が誰の研究にどう影響したのかを把握できている方はもっと少ないのです。

後世に完成された体系準拠で初歩から語っていくほうが、著述はラクです。「がたがたいってんじゃねえ、ちゃんと証明も検証もされているんだから間違ってないぞ、言われたとおり頭に入れやがれ」と。

そういうのにさっさと適応できてしまうひとは本当にうらやましい。小3でeを理解してしまうとか小6で双子素数の研究をしてしまうとかの、いわゆる神童さんたちは、私のような偏屈さとも執拗さとも無縁なのでしょう。

しかし ―― 何か間違ってはいないでしょうか。こういう疑問と謎解きに快感を覚えるような知性が、少なくとも日本では救われないままだなんて。

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