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彼は「戦メリ」をどうやって作曲したのか?(その24 - 間奏部)

その23からの続きです。

前回分析した8小節ぶんを、主旋律が引き継ぎます。

途中まで聴いてみましょう。


このあと、旋律は1オクターヴ下がって、同じシーケンスを繰り返すのですが、途中でニュアンスが微妙に変わるのです。

聴いてみましょう。


涙の後の笑顔、そんなイメージ。

この微妙なニュアンスの変化は、どうやって生じているのでしょう?


一つ目の小節から見ていきましょう。「ファ♯・レ・ラ」(緑で括った和音)をどう解釈すべきか…

これはですね「レ・ファ♯・ラ」の和音です。「ファ」に変わって「ファ♯」が鳴っていますね。

この「ファ♯」の正体は、なんと「シ」です。龍一教授の楽曲は、和声と旋律がしばしば調が5度違いだって話を前にしたのを、どうか思い出してください。

すなわちこの小節の和音にある「ファ♯」は、実は旋律の調(緑のドレミ)における「シ」なのですよ。


この解釈で押し通すとですね、和音のドレミがこんな風に書き換わります。

「シ・ソ・レ」ということは、並べ替えれば「ソ・シ・レ」和音。おお、ドミナント系の三和音ではありませんか。この和音は4度上に進もうとする意欲にあふれています。


ここから元のドレミ表記法に戻します。以下の小節、「ソ・シ・レ・ファ」和音を基調としていますね。これはバリバリのドミナントセヴンス和音ですので、推進力ばりばりです。ばりばり。



ただ、このばりばり和音は「ド・ミ・ソ」和音に着地するのが基本であるのですが、面白いことにそうは進まなくて「ミ・ド」の和音に進むのが面白いところです。


前にこんな話をしました。「戦メリ」は滑走路に着陸しそうでしない、再び空に上がっていく航空機であるぞと。もし「ド・ミ・ソ」和音に着地したら、それはまさに滑走路に車輪を降ろして着陸するのと同じです。そうはいかないぞーとこの作曲者は「ド・ミ・ソ」の並びを変えて、さらには音を一つ抜いて「ミ・ド」にしたものと思われます。


この和音の後、「レ・ラ」(緑で括った部分)が来ます。これは最初の小節にあった「レ・ファ♯・ラ」和音が、「ファ♯」を抜いて再登場したものとみます。


この後「ソ・レ」に続くのは、これの正体が「ソ・シ・レ・ファ」和音だからです。1小節目→2小節目の和声進行が、ここではもっと少ない音で反復されているのです。


以下の進行は「ソ・シ・レ・ファ」和音が1オクターヴ下で反復されたものです。音数がさらに減って「ソ」ひとつになってしまっていますが「ソ・シ・レ・ファ」和音のルート音です。


こんな風に、だんだん音数が減っていく、まるでこの世から消えようとしているかのように。

この後この曲は、いきなり音数が増えます。♪ジャジャジャジャジャジャジャジャ♪ と続く、あのパートに突入します。そのためにわざと直前4小節で音数を減らしていって、そこに ♪ジャジャジャジャ♪ をいきなりぶつけて聴く側にショックを与えるという演出、心憎いです。


そうそう以下のライン、皆さんは気づいたでしょうか? 「ファ♯」「ファ」「ミ」の順に半音下降していますね。どこかおとなっぽい和声進行です。半音下降線のある和声進行はそういう特徴があります。

この「ファ♯」を含む和音について、並の楽曲分析者ならきっと「ダブルドミナント和音である」と理屈付けるのでしょうが、私はしません。旋律側の調性におけるドミナント三和音とみるべきです。詳しくは上で述べたとおりです。この技によって生ずるこの半音下降線が、白鍵からの音の逸脱を許し、それが「涙のなかの笑顔」とでもいうべき、分類より逸脱したエモーションを生み出しているのです。


ところで今回取り上げたこの4小節部分、龍一先生はあるとき違う風に弾いていたことに気づきました。ここです。


「レ・ファ♯・ラ」ではなく「レ・ファ・ラ」を弾いています。原曲と違う音を選んでいますね。「ファ♯ ↘ ファ ↘ ミ」の半音下降は曲のもっと後のほう、終盤で出してきます。


奥ゆかしいというか心憎いというか。1990年暮れに、ニューヨークのアポロ劇場で収録された演奏です。トキオから引っ越してきて半年くらいの頃のものですね。原曲(映画のサウンドトラック)ともピアノ演奏版(Avec Piano準拠のもの)とも違う、よりエモーショナルかつドラマチックなアレンジです。


とそーゆーわけでオイラの分析、さらに続いちゃうよサカモっちゃん!


つづく

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