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#4 すべては〈欲望-関心〉からはじまる。【理論編】

みなさんは「現象学」という学問(思考原理)をご存知でしょうか?

「いちじくlabo」に入ってくださるくらいのみなさんでしたら、きっとご存知の方もいらっしゃると思いますし、今知らなくてもいずれどこかで出会っていた学問(思考原理)だと思います。

「現象学」とは、あらゆる学問の根底にある“べき”と言っていいくらいのものであると私は“感じて”います。
(現象学を学ぶ上でのおすすめの書籍は以下です。私も厳密に言うとこの入門書すら完璧に理解をしていると言えないですが、教育に携わる上で「現象学的態度」を在り方の根底に据えらえれることの意味はとても大きいと感じています。)

今日は「現象学」のエッセンスを抽出し、教育を語る上で決して外すことのできない「無色透明な客観世界(事実)なんてない」「すべては確信」という部分にフューチャーして言葉を綴っていきます。


私たちの「体験」としての認知

私たち人類は欲望に規定をされている存在であることはこれまでも述べてきました。
今日はそこから1つ先に進み、私たちは〈欲望-関心〉をもとに世界を認知しているということを説明していきます。

ここでまずは私たちの「体験」について触れます。私たちの知覚から始まる体験を因数分解したものは以下です。

・個的直観
・本質直観
・情動所用

個的直観について。
個的直観とは、私たちの「五感」をイメージしていただけるとわかりやすいです。
「見えている」「聞こえている」など、この五感を通じてやってくるのが個的直観です。

まずは見えたっていう「個的直観」

次に本質直観について。
ここで〈欲望-関心〉がでてきます。
その時々の〈欲望-関心〉に沿って、私たちは世界を認知しています。

例えば目の前に(一般的に言う)「コップみたいなもの(以下物体A)」があるとします。この時、あなたが「喉が渇いたな〜」って感じていたとしたらこれは「コップ」に見えると思います。

ではもしあなたが友人からお花をもらった瞬間、目の前に同じく「物体A」があったとしたら、それは何に見えるでしょうか?きっと花瓶(花を生けるためのもの)としてあなたの中に立ち現れるのではないでしょうか?

もっと極端な例で。
例えばあなたが家に帰ると、強盗が家の中にいたとします。命の危険を感じたあなたは、咄嗟に命を守るためにの方法を考えます。この時「物体A」をあなたはコップや花瓶として認知するでしょうか?
きっとしませんよね。この時あなたは「物体A」を身を守る武器として認知するでしょう。

このように五感を通じてやってきた「個的直観」には必ず何らかの「意味」の直観、すなわち「本質直観」が伴います。
そしてその「意味」の直観をつくっているものこそ、私たちのその時々の〈欲望-関心〉です。

最後に情動所用について。
個的直観・本質直観と同時に、私たちには情動が喚起されます。
例えば「物体A」が何かによって、それを美味しそうと感じたり、そこから歴史を感じたり、それ自体に思い出の品っていう特別感を感じたりする瞬間が私たちにはあります。

以上をまとめた要点を書籍から引用をすると以下になります。

われわれが現実的な世界を生きるかぎり、どんな体験も、対象の知覚を端緒としてたえずさまざまな情動‐衝迫(欲望)が喚起され、この欲望の強度に応じてさまざまな実存的な企投が行なわれる、という構造をもっている。
この、知覚→情動生起(欲望)→対象の価値‐意味の構成→判断と企投(行動)、という連関こそ、生主体の体験の根本的な基礎構造にほかならない。それゆえ、「意味」と「価値」の本質は、こうした体験の本質構造から洞察されねばならないのである。

竹田青嗣. 新・哲学入門 (講談社現代新書) (p.66). 講談社. Kindle 版.


すべては確信

以上からわかる通り、私たちは「無色透明な事実」を認知しているのではなく常に〈欲望-関心〉に相関をして世界を捉えています。

では思考を深めるために、ここからもう少しだけ現象学を深めます。

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